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「坊主、釣りやるか」
リーダー格のカズは、そう言ってよくわたしをアユの友釣りに誘ってくれた。
廃工場のそばを流れる清流にはアユがいて、玄人筋の太公望のあいだでは穴場としてつとに知られていた。30年近く経ったいまでも実家に帰るたび、規格外に長い竿を持った釣り人が川の中ほどまで足を踏み入れている姿を見かける。
カズは友釣りにかけては名人級の腕前で、彼の純然たる娯楽がしばしば〈ディアスポラ〉の食料事情に貢献することすらあった。話はそれるがこの例に限らず、5人は年齢の割に飛びぬけて優秀な面が数多くあった。
高校生のとき、読者は身の回りの雑事をすべて自分でこなしていただろうか? 工業用ディーゼル発電機を動かし、4トントラックを運転し、生きていくのに十分な稼得を得て、頭にシラミを湧かせない程度の清潔さを廃墟住まいという劣悪な環境下で維持する――。
すでに社会人経験があるからだと当時は納得していたけれども、40歳になるいまになって思い返してみても、彼らにとうていかなわない点があるのを認めるにやぶさかではない。あれだけ有能な連中がなぜ、高校も行かずに廃墟なんかに住み着いていたのか、得心のいく合理的な理由をいまだに思いつけないでいる。
ともあれ、友釣りは非常に難易度の高い伝統的な手法である。ずぶの素人であるわたしの釣果はほとんど毎回ボウズであった。手持無沙汰になり、自然会話も増える。カズは自分たちのことはほとんど語らなかった代わりに、わたしの話は腰をすえて聞いてくれた。
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その日は夏休みだったはずなので、彼らが廃墟に移住してきてから2か月ほど経ったあたりだったと思う。毎日のように〈ディアスポラ〉のメンバーとつるんでいるわたしを心配したのだろう、カズが次のような疑問をぶつけてきたのだ。
「坊主、地元の友だちと遊ばんでもええのか」
聞かれたくない質問だった。
「なんであんな田舎もんと遊ばなあかんねん」
そのころはすっかりカズの関西弁が伝染していた。
「遊ばなあかんちうことはないけど、誰ぞおらんのか、ダチ公の1人や2人」
「おらんな」
「――確かお前、転校してきたとか言うてたな」
「それがどないしたんや。カズまでぼくのことよそもんや言いよるんか」
「その言いぐさやと、わし以外によそもんやとレッテル貼る奴がおんねやな」
だいたいこんなようなやり取りで、あっという間にわたしが学校で孤立していることがバレてしまった。
「なんや坊主、お前いじめられとるんか」
「ちゃうちゃう、いじめられてへん」
わたしは涙を浮かべていたと思う。そのころはすでに、学校に行くのにありったけの勇気を奮い起こさねばならなかった。刻一刻と迫ってくる夏休み明けは、わたしにとって死刑執行日に等しかった。
「相手は何人や」
「せやからいじめられてへんて」
「まさか、1人やないやろうな」
このセリフはいまでもよく覚えている。もし相手が1人だったら、独立独歩を旨とするカズはわたしの軟弱さ加減にひどく失望しただろう。幸いにも彼の期待を裏切ることなく、加害者は複数だった。
いじめといっても小学6年生である、その実態は(いまにして思えば)たかが知れていた。せいぜいやりたくもない野球を強制されたり、自転車のスポークを折られたり、筆箱を隠されたり、ポコペンの鬼を毎回やらされたり、転校前の小学校を侮辱されたりするくらいであった。
読者はこんな程度でなにをくよくよしているのだ、と苛立つだろう。ニュースでは比較にならないほどの苛烈ないじめに遭って自殺した子の悲惨な日々を報道しているではないか、と。言わせてもらう。いじめのつらさは内容ではなく、毎日悪意を持った集団から一方的に迫害を受けているという事実そのものなのだ。
わたしは懸命に涙をこらえながら、相手は複数の人間だとついこぼしてしまった。カズは同情するでも叱咤激励するでもなく、具体的になにをされているのかを知りたがった。それは質問ではなく尋問であり、有無を言わせぬ迫力があった。徹底的にいっさい合切、泥を吐かされた。
一通り聞き終わると、彼は深く長くため息をついた。眉間に何本もしわが寄っている。彼は怒っていた。激怒していた。
「主犯格は誰や」
わたしはあっくん、梅君、宗宮君の名前を反射的に挙げていた。この連中以外の従犯のなかには、密かにわたしのことを気づかって「大丈夫か」と声をかけてくれる人物もいた。だがこの3名については情状酌量の余地はなかった。彼らは死ぬべきであった。死なねばならなかった。























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