その甲斐もあり、〈ディアスポラ〉のメンバーは(あくまで廃墟に住み着いている人間としては)例外的に身ぎれいであった。風呂の問題は近所の銭湯で解決できたし、ぜいたくを言わなければそばを流れる清流にダイブすれば事足りた。
年齢はリーダー格のカズが17歳で、あとは15、16歳がそれぞれ半々ずつ。全員が高校や職業訓練校には通っておらず、生業も不詳、住所も不定、出身地も不明であった。特に職業は最大の謎だった。家賃が発生しないとはいえ、食料、大量に使用するガスコンロ、発電機を動かすための軽油、洗濯用洗剤など、5人の人間が生活を維持するだけでもそれなりの費用はかかる。
わたしは子どもながら、彼らは富裕層の御曹司たちで、社会勉強と称してサバイバル生活を(苦労は買ってでもしろ式の意味合いで)させられているのだと思っていた。それにかかる費用は親元が全額負担しているので、彼らは働く必要がないのだと。
そうだったのかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
* * *
「坊主、釣りやるか」
リーダー格のカズは、そう言ってよくわたしをアユの友釣りに誘ってくれた。
廃工場のそばを流れる清流にはアユがいて、玄人筋の太公望のあいだでは穴場としてつとに知られていた。30年近く経ったいまでも実家に帰るたび、規格外に長い竿を持った釣り人が川の中ほどまで足を踏み入れている姿を見かける。
カズは友釣りにかけては名人級の腕前で、彼の純然たる娯楽がしばしば〈ディアスポラ〉の食料事情に貢献することすらあった。話はそれるがこの例に限らず、5人は年齢の割に飛びぬけて優秀な面が数多くあった。
高校生のとき、読者は身の回りの雑事をすべて自分でこなしていただろうか? 工業用ディーゼル発電機を動かし、4トントラックを運転し、生きていくのに十分な稼得を得て、頭にシラミを湧かせない程度の清潔さを廃墟住まいという劣悪な環境下で維持する――。
すでに社会人経験があるからだと当時は納得していたけれども、40歳になるいまになって思い返してみても、彼らにとうていかなわない点があるのを認めるにやぶさかではない。あれだけ有能な連中がなぜ、高校も行かずに廃墟なんかに住み着いていたのか、得心のいく合理的な理由をいまだに思いつけないでいる。
ともあれ、友釣りは非常に難易度の高い伝統的な手法である。ずぶの素人であるわたしの釣果はほとんど毎回ボウズであった。手持無沙汰になり、自然会話も増える。カズは自分たちのことはほとんど語らなかった代わりに、わたしの話は腰をすえて聞いてくれた。
* * *
その日は夏休みだったはずなので、彼らが廃墟に移住してきてから2か月ほど経ったあたりだったと思う。毎日のように〈ディアスポラ〉のメンバーとつるんでいるわたしを心配したのだろう、カズが次のような疑問をぶつけてきたのだ。
「坊主、地元の友だちと遊ばんでもええのか」
聞かれたくない質問だった。
「なんであんな田舎もんと遊ばなあかんねん」
そのころはすっかりカズの関西弁が伝染していた。
「遊ばなあかんちうことはないけど、誰ぞおらんのか、ダチ公の1人や2人」
「おらんな」
「――確かお前、転校してきたとか言うてたな」
「それがどないしたんや。カズまでぼくのことよそもんや言いよるんか」
「その言いぐさやと、わし以外によそもんやとレッテル貼る奴がおんねやな」
だいたいこんなようなやり取りで、あっという間にわたしが学校で孤立していることがバレてしまった。
「なんや坊主、お前いじめられとるんか」
「ちゃうちゃう、いじめられてへん」
わたしは涙を浮かべていたと思う。そのころはすでに、学校に行くのにありったけの勇気を奮い起こさねばならなかった。刻一刻と迫ってくる夏休み明けは、わたしにとって死刑執行日に等しかった。
「相手は何人や」
「せやからいじめられてへんて」
「まさか、1人やないやろうな」






















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