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呪い・祟り

本宮晃樹さんによる呪い・祟りにまつわる怖い話の投稿です

出土した災厄
長編 2026/02/14 12:20 85view

 わたしの祖父は重度のアルコール中毒だった。

 父方の祖父母は岐阜県の西の果てにある、山あいの限界集落に住んでいた。渓流の両岸に家屋がへばりつくように建つ寒村で、冬ともなれば積雪はゆうに1メートルを超す。
 帰省するのにも一苦労という事情もあり、祖父母とは盆暮れ正月に会うくらいの交際頻度であった。幼少のころのわたしが覚えている祖父の姿は、ワンカップの日本酒を片手に炭火を入れた万年コタツでうつらうつらとまどろんでいる、どてらをまとった人生の敗者であった。

 祖父は粗暴で気が短く、アルコールが切れるとしょっちゅう祖母を殴った。我慢の限界に達した彼女が何度も、徒歩と電車を乗り継いでわたしたちの町にまで避難してきたのを覚えている。
 1~2日ほどは頑固一徹を通して「二度と帰ってくるな」と息巻いていた祖父も、男やもめの一人暮らしは荷が重すぎたのだろう、1週間も経つと「戻ってきてくれ」と電話で泣きついてくる。アル中なうえに自堕落で、まったく始末に負えない男だった。

 そんな彼に協調性を求められる会社勤めが性に合うはずはなかった。こんなエピソードがある。彼がとある零細土木会社に内定し(戦後の復興期は五体満足でさえあれば、どんな人間でもとりあえず採用されたのである)、正念場の出社初日となった。
 待てど暮らせど指定された現場に祖父は現れない。親方以下一同が貧乏ゆすりをしながら眉間にしわを寄せていると、焦点の合っていない新人が千鳥足でやってきた。1時間を超す大遅刻であったらしい。

 親方が遅刻したうえに朝っぱらから酒を呑んで出社するとはどういう了見だと問い詰めると、祖父は居直って傲然と胸を張る。酒を呑んでなにが悪い、来てやったんだからありがたく思え!
 呆れた親方がその場で馘首を言い渡すと、彼も負けていない。ああ辞めてやるよ! 呂律の回らない舌で捨て台詞を吐き、例の千鳥足で退場したのだという。

 祖父は結局自営業に落ち着いた(というより必然的にそうなった)。豪農だった本家筋から相続した山林に炭焼き小屋を作り、そこで細々と燃料用の黒炭を製造していたらしい。

 自由の利く自営業であれば当然、業務中だろうが関係なく飲酒ができる。作業効率は常に最低水準で、ロクな稼ぎもなかったそうだ。
 それでも祖父母たちは一戸建てに住んでいて、質素ながらも貧困線を割るような生活はしていなかった。常に祖父の両手にはワンカップとセブンスターが握られていたし、自給自足用のささやかな田んぼを耕すトラクターも持っていた(わたしたち兄弟はこの田んぼに苗を植えるため、よく児童労働をさせられたものだ)。

 それだけではない。晩年に祖父がアルツハイマー病に侵されて社会的入院となった際も、わたしたち家族は1円も支払っていなかった。すべて彼ら自身の貯蓄でまかなえたようである。ちなみにあれだけ呑んでいたのに、彼は結局酒には殺されなかった。死因は肝硬変や糖尿病ではなく、身体機能の全般的な低下――要するに老衰だった。享年72歳であった。
 祖父の稼ぎは雀の涙で、祖母は戦時中の女学生動員以外で働いたことすらなかった。彼らはどうやって生活を維持していたのか。
 答えは恩給である。祖父は日中戦争に参戦していたのだ。

     *     *     *

 日中戦争は1937年、盧溝橋での発砲事件をきっかけにして始まった。

 1930年代当時の中国には定まった支配者がおらず、中国全土の覇権を目指して小規模武装勢力(=軍閥)が跋扈する混乱状態にあった。各地で血で血を洗う内戦がくり返され、いつ終わるとも知れぬ武力衝突が日常的に起きていた。
 そんな軍閥のなかでも有望だったのが、蒋介石率いる国民党政府、毛沢東率いる共産党政府、そして汪兆銘率いる南京政府の3者であった。

 日本は租借地や満州を防備するために戦力を派遣していたものの、彼らが大きないさかいを起こしたという記録は見つからない。軍隊はあくまで市民を軍閥紛争から守る警備隊であり、侵略の意図は(少なくとも当初は)なかったようだ。

 当時の首相だった近衛文麿も、広大な中国大陸に侵略戦争を仕掛ければ早晩兵站問題が出来し、消耗戦になるのは必定と見ていた。〈中国とことを構えるのは得策ではない〉。それが日本政府の総意であった(ただし満州警備隊の関東軍は張作霖爆殺事件などを意図的に起こしており、中国侵略を企図していたとみて間違いない。明治憲法唯一の弱点ともいえる、統帥権干犯問題が軍人の暴走を招いたのである)。

 日中戦争は日本軍が盧溝橋にて夜間訓練中、何者かに発砲されたことが原因で、なし崩し的に始まった。犯人は蒋介石の国民党兵士と目され、両者の関係は急速に悪化していく。
 発砲の実行犯は長らく不明であったが、精力的な研究により、いまでは毛沢東の共産党が仕掛けた謀略というのが通説である。戦力で劣る共産党は日本と国民党を戦わせて消耗させ、漁夫の利を掠めとるという意図であった(そして実際、1949年に第二次国共内戦を経て共産党は国民党を台湾へ追いやり、現在の中華人民共和国を樹立した)。

 盧溝橋事件以後も日本は和平を模索し続け、国民党軍とはなるべく衝突しないよう細心の注意を払っていた。しかし租借地の民間人虐殺などが横行し(通州事件)、ついに大日本帝国も現地日本人を守るために開戦せざるをえなくなった。
 南京政府首魁である親日派の汪兆銘とともに、蒋介石の国民党軍を撃退する――。前置きが長くなったけれども、以上が日中戦争開戦までのあらましである。
 こうした混乱期に祖父は召集され、中国へ派兵された。

     *     *     *

 祖父は決して自身の戦争体験を語らなかった。
 もともと寡黙な人柄で他人とのコミュニケーション能力に難があったのは確かだが、酒が入っていないとき――1日のうちほんのわずかな時間――は孫たちと交流を持つこともあるにはあった。言葉少なに二言三言、なにやらもごもごとつぶやくだけで、それは会話のていをなしていなかった。
 結局わたしは一度として、祖父から日中戦争の体験談を聞けずじまいであった。

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