山にはしばしば、要所に指導標が設置されている。
それらには〈治田峠〉や〈ヨナ沢の頭〉などの地名が記されており、現在地はもちろんのこと、ゆく先に何があるのかまで教えてくれる。登山地図はたいてい現場の指導標にリンクする形で描かれているので、自分がいまどこにいるかを確定させる手段としてはこれ以上便利なものはない。ことに読図を始めたばかりの初心者にとってはマスト・アイテムに近い。
その反面、指導標のクオリティにはピンからキリまで大きな隔たりがある。登山道を整備しているふもとの観光協会が作ったものは頑丈で情報も正確であるが、もの好きな個人が自分用に建てたような代物はボロボロに風化しており、情報にも信憑性があるとは言いがたい。
登山は最終的に、個人の力量が問われるスポーツだと読者は聞いたことがあるだろう。木の枝に巻かれたリボンや指導標は便利だけれども、それらに頼り切っていると思わぬ窮地に追い込まれることがままある。リボンや指導標はたいてい善意で作られたものだが、情報の取捨選択はあくまでも登山者個々人に課せられているわけだ。
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以下に語るのは2010年代の11月、わたしが鈴鹿山脈深部に分け入り始めたころのエピソードである。
鈴鹿山脈とは三重県と滋賀県の県境に位置する、1,000メートル前後の山々で構成された長大な山脈だ。標高は低いけれども南北に60キロメートルほども伸び、東西にも主脈以外に何本も支脈が並走する懐の深い山岳地帯である。
鈴鹿中部――具体的には朝明渓谷から宮妻峡あたりまでのエリアはことに人気で、毎年大勢の登山者が関西圏から足を運んでくる。人気フィールドだけあってトレイルも指導標も完備されており、誰でも気軽に山歩きが楽しめるのが売りだ。
そんな鈴鹿中部でも主脈を乗り越して西へ少し潜れば、訪れる者もまれな鈴鹿深部と呼ばれる人跡未踏のフィールドが待っている。鈴鹿山脈はそうした意味で、都市圏から1時間でアクセスできる「身近な秘境」と形容できるだろう。
鈴鹿深部で頼りになるのは有志による手作りの指導標と、木々に巻かれたテープやリボンくらいのものだ。あとは登山者自身で地形を読み、現在地をつねに把握し続けていなければならない。整備されたエリアと同じ感覚で考えなしに歩いていれば、遠からず道に迷って遭難の憂き目に遭う。玄人筋が好むフィールドとして一部のマニアだけが静寂を求めて入る――。それが鈴鹿深部である。
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11月某日、わたしは恒例の朝寝坊をやらかし、三重県菰野町の朝明渓谷に着いたのは午前10時すぎであった。晩秋の山中は陽が落ちるのも早く、この時間から歩いていては日没に間に合わないけれども、ものぐさな性格のわたしはこの日も夜間ハイクでお茶を濁すつもりだった。予定ルートは以下の通り。
朝明渓谷駐車場~根の平峠→神崎川出合→小峠出合→小峠→イブネ→クラシジャンダルム→クラシ北尾根経由→お金峠→お金出合→大瀞→中峠→朝明渓谷駐車場
10:15に朝明渓谷駐車場を出発。急いだのもあり、根の平峠へ詰め上げたのが11:00ジャストという快速さであった。ペースを緩めずに紅葉の美しい神崎川流域へ降りていく。このあたりから登山者は激減し、すれ違ったのは単独の中年男性1人きりだった。
神崎川を南下して小峠出合には正午前に着き、V字に切れ込んだ沢へシフトする。小峠直下の垂直に近い登りをフィックス・ロープを駆使してクリアし、クラシ南尾根を経由してイブネ(1,160メートル)へ至った。
抜けるような秋晴れの下、苔むす広大なイブネを心ゆくまで満喫し、13:00すぎにランチとした。イブネは〈鈴鹿の秘境〉と呼ばれるだけあってかなりの奥地にあるのだが、当時一世を風靡した登山ブームによって道が整備され、武平峠からのアクセスが大幅に改善されていた。そうした事情もあり、低山とは思えない雄大な景色を求めてやってくる登山者も少なくなかった。
山では見知らぬ他人でもとりあえず一言あいさつするのが常識である。気が向けばそのまま山談義に花を咲かせることもしばしばある。ましてイブネにくるような登山者はマニアである可能性が高く、自然会話も弾む。わたしはその場に居合わせた60代くらいのベテラン山屋としばし、歓談を楽しんだ。
彼は神崎川沿いのお金出合から深部に分け入り、お金峠→作ノ峰→高岩→ワサビ峠→クラシジャンダルム→イブネというマニアックなルートできた由。ベテラン山屋はストーブで沸かしたコーヒー片手に長々と嘆息してみせた。
「近ごろはこのあたりも賑やかになってきちゃったねえ……」
わたしは当たり障りのない受け答えを心がけた。
「昔はどんなふうだったんです」
「まだ鈴鹿スカイラインが通されてなかったころなんか、イブネにいくのはごく少数の玄人だけだったな。御在所のふもとから杉峠あたりで1泊、そこからイブネまで猛烈な藪漕ぎだ」
「えっ、藪漕ぎ?」わたしは驚いてつい、口を挟んでしまった。「だって、このへんは苔しか生えてませんよ」
「シカの食害だって話だ。昔はこのあたり一帯、見渡す限り一面の笹原だったもんさ」
これには驚いた。変われば変わるものである。わたしは話の腰を折ったことを詫びた。
「それで、どこまで話したっけな……。そうそう、藪漕ぎしてイブネに着いたあとは、道なき道をコンパスと地形図を頼りに深部の稜線を歩き通して、お金明神に寄って旅の無事を祈願する。神崎川に降りたところでもう1泊。3日目でようやく下界に戻ってこられる――とまあ、こんなスケジュール感だった。体力と根気のいる行程だったよ。それがいまじゃこのざまだ」
老人は身振りで思い思いに歓談する人びとを指し示した。
「こいつらはどうせ武平峠あたりからズルをやらかして登ってきた連中だろ。みんな楽をすることしか考えてない。それもこれもお節介な奴が勝手に設置した看板がいかん。あんなのがあるから気軽に誰でも深部にこられるようになっちまったんだ」
老人はひとしきり不平を述べたあと、見知らぬ他人に愚痴をこぼしたことを詫び、道具を片づけて下山していった。帰りはコクイ谷方面から降りるのだろう。
わたしはちょうど彼のルートを逆に北上する計画である。昼食のゴミを片づけ、重いザックを背負ってクラシ北尾根へ分け入る。14:00ジャスト出発。

























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