山では見知らぬ他人との距離が、なぜだか近くなる。
すれ違いざまにあいさつをするのは常識だし、フィーリングが合えばその場で長々と山談義をしたりもする。目的地が同じであれば、そのまま道連れになることさえ珍しくはない。
以下に語るエピソードはわたしが若いころに遭遇した、とある女性登山者にまつわるものである。
おそらくこの体験は、わたしが鈴鹿山脈に入り浸っている根源的理由なのだと思う。記憶が風化しつつあるいま、あの不思議な光景を忘れないため、この場を備忘録として借りることとした。
2010年代のできごとなので、もう10年以上も前の話になる。
* * *
20代前半のころのわたしは情報量の乏しいガイドブック片手に、手ごろな山へ突撃をくり返すイノシシ武者のような登山スタイルだった。
無知とは恐ろしいものだ。出版年の古いガイドブックに記されたルートは廃道化していることもままあり、現場で立ち往生した経験も一度や二度ではすまない。
それでも若さゆえの勢いで目についた低山へ突っ込んでは蜘蛛の巣だらけ、ヒルまみれになって命からがら帰ってくる――。そんな無謀な山行が実に刺激的であった。
もうずいぶん記憶があいまいなのだが、秋も深まってきたすごしやすい時節だったと思う。
抜けるような晴天の空のもと、わたしは例によって虎の巻のガイドブックに紹介されていた鈴鹿山脈主峰の藤原岳(1,144メートル)へ、裏道である聖宝寺ルートから登り始めた。
聖宝寺ルートは表道の大貝戸ルートほどではないものの、十分整備の行き届いた一般道である。1合目ごとに指導標が建てられ、木々には割合密な間隔で誘導テープも巻いてある。いまのわたしなら目をつむっていても登れるようなトレイルだ。
しかしそこは裏道、沢の高巻きから尾根に道が切り替わったり山腹をジグザグに登ったりと、低山とは思えないほど複雑に地形が入り組んでいる。表道の大貝戸と比べてみると、概して明瞭な登山道とは言いがたい。まだ〈山感覚〉が備わっていなかった当時のわたしは案の定、沢から尾根へ道の付け替わる6合目付近で登山道を見失ってしまった。
単独登山での道迷いほど心細いものはない。晩秋の山は生命の息吹が感じられず、吹きすさぶ木枯らしが葉の落ちたねじくれた木々をざわめかせる。そのさまはなんとも言えず不気味であった。
GPSアプリなどろくになかった時代である。経験の浅かったわたしは情けないことに、パニックを起こしてしまった。頭の中は真っ白、心臓は早鐘、冷汗は滝のごとしでまともな精神状態ではなかったと思う。藪がちな尾根を奇声を上げながら走り回り、救助を求めてさまよう姿はさだめし怪異そのものと映っただろう。わたしはこのとき、死の恐怖に憑りつかれていた。
万策尽きて怒鳴る元気もなくなり、倒木に腰かけて頭を抱えていると、どこからか人の呼ぶ声が聞こえてくるではないか。近い。
「ねえ、誰かいるの」
わたしは弾かれたように立ち上がり、大きく手を振りながら絶叫していた。
「ここです、ここにいますっ!」
声のしたほうへ矢も楯もたまらずに走っていくと、間もなく尾根芯に乗った。足場の悪い山腹をわけもわからずに延々とトラバースしていたらしい。〈迷ったら尾根を登れ〉。当時のわたしはこの程度の常識も知らなかったのだ。
息を切らせて声の主を探すと、カラフルな装いの若い女性がきょとんとした表情で待っていてくれた。いまでも彼女の顔をよく覚えている。色の白いうりざね顔の、切れ長の目をした理知的な顔を――。
彼女は推定25~30歳くらいで、黄土色のサファリハットをかぶり、防寒用のウィンドブレーカーを羽織っていた。アウターの鮮烈なピンクが強く印象に残っている。
「さっき叫んでたの、あなた?」
わたしはバツの悪さに照れながらうなずいた。
「実は道に迷ってしまって。おかげで助かりました」
現在地は8合目の表道・裏道の合流点である由。深山幽谷に迷い込んでしまったと絶望していたのだが、案外正規ルートの近くをうろついていたのだ。道迷いとはたいていこんなものである。
「どうせなら山頂まで一緒に来る? あたしこの山詳しいから」
願ってもない申し出であった。
* * *
彼女は美奈子と名乗った。三重県在住で、藤原岳には〈春秋冬〉の「オールシーズン」欠かさず登っているという(夏が抜けているのはヤマヒルが際限なく出るため。事実上鈴鹿は夏に限り、入山禁止のようなものである)。
わたしはすっかり舞い上がっていた。若い女性に山を案内してもらえる僥倖に巡り合えるなど、そう滅多にあるものではない。それだけでは足りないとでもいうかのように彼女は親しげに話しかけてくれ、味気ない登山に彩りが添えられた。























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