20代の終わりごろのことだから、もう10年ほど前のできごとになるだろうか。
当時のわたしは登山を始めて3年ほど経ち、新たなステージにステップアップすることを目標にしていた。
そうしたビギナーに毛の生えた程度の輩が安直に目指すのが、北アルプスである。もちろんわたしも例外ではなかった。オンシーズンである夏季ともなれば、毎週毎週飽きもせずにテントを担いで穂高の山々に入り浸っていたものだ。
仕事でも趣味でも、慣れてきたタイミングがもっとも大きな陥穽に陥りやすい。当時のわたしはほとばしる体力を持て余しており、早出早着を第一義とする山岳会が聞いたら腰を抜かすような山行をくり返していた。標高差2,000メートル超えのハードなルートを9時に登り始めて19時に降りてくる、といったたぐいの愚行である。
* * *
10年ほど前の7月下旬、わたしが決行したプランはそうした愚かさの集大成とも言えるものであった。ルートは以下の通りである。
1日目 新穂高温泉深山荘駐車場~白出沢出合~鉱石沢~荷継沢のガレ沢~穂高岳山荘
2日目 穂高岳山荘~奥穂高岳~吊り尾根~紀美子平~前穂高岳(ピストン)~岳沢小屋~上高地
特段無理な行程ではない。問題は開始時間であった。奥穂高へすでに何度も登り、過信が最高潮に達していた当時のわたしは、山を軽んじていた。愚弄していたといってもよい。穂高はすでに征服した領域で、こんな山など朝飯前に登れるのだと驕っていたのだ。
その結果、出発は14:30となった。本来であればそろそろ山小屋に着いていなければならない時間帯である。〈山と高原〉地図のコースタイムでは、新穂高温泉から標高3,000メートル付近の穂高岳山荘まで、およそ9時間。コースタイム通りならば、キャンプ地に着くのは23:30となる。いかに無謀なプランだったのかわかってもらえるものと思う。
槍ヶ岳方面の右俣林道を歩き通し、白出沢出合に着いたのが16:30。尋常の山屋ならとっくに山小屋泊なりテント泊なりしている時間帯であるが、わたしはこれから標高差2,000メートルをこなすのである。自信はあった。まったく愚かだった。
白出沢を遡行しはじめてすぐ、天候が崩れ出す。ポツリポツリと降っていたのが、あっという間に猛烈な土砂降りとなって襲いかかってきた。面喰いながらレインコートを取り出してかぶるも、5,000円程度の安物では気休めにもならない。
夏とはいっても北アルプス、標高2,000メートル以上ともなれば気温は涼しいを通り越して寒いくらいだ。それに加えて篠突く雨。みるみる体温が奪われていく。
18:00ごろ鉱石沢を横断。ここからは足元の悪い荷継沢のガレ場が一直線に、標高3,000メートル付近の穂高岳山荘まで伸びている。宇宙空間まで続いているのでは、と思わせるほどの激烈な登りだ。とはいえここを登り切るまで山小屋はないし、途中にテントを張れるようなスペースも期待できない。一度登り出したが最後、やり切るよりなかった。
行程は困難を極めた。荷継沢は大小さまざまなサイズの岩が無数に散らばる、日本の山岳離れしたスケール感のガレ沢である。明瞭な道はつけられておらず、足場は浮石のせいで非常に悪い。登山道の識別は岩に描かれた丸印をトレースしていくのだが、そもそも印はまばらにしか記されておらず、陽の出ているデイタイムでもルート選定は一筋縄ではいかない。日没後ともなれば、難易度は何倍にも膨れ上がる。
いっこうに止む気配のない土砂降りで体温は低下し、徐々に判断力が失われていくのがわかった。それだけではまだ足りないとでもいうかのように、雨は濃い霧を連れてきた。瞬時にあたりは白亜の迷宮と化した。ヘッドランプの光輪は乱反射して使いものにならず、有効視程は1~2メートル程度にまで激減する。
数えきれないほどルートをロストし、その都度慎重に引き返す。これほどの濃霧だと一度迷ったが最後、正規ルートに戻ってこられる可能性は限りなく低い。すでに体力を消耗し尽くし、執拗な雨によって体温も維持できなくなってきている。
しばしば真夏の高峰で低体温症による死亡事故が起きるているが、冬季ならともかく夏季になぜこんな事故が起きるのか、不思議に思っていた。そのメカニズムをいま、わたしは身をもって理解した。雨が浸透して衣服を濡らすと、それが蒸発する際に吸熱反応で体温が奪われる。雨が降り続けばこの過程が何度もくり返され、やがて低体温に陥って代謝がストップしてしまうのだ。
どれくらい登っただろうか。おそらく19:30くらいだったと思う。わたしはついに幻覚を見始めた。それまでは遥か上に見えていた穂高岳山荘の灯りが、不意に目の前へ移動してきたのだ。もう着いたのか、と期待を込めて近づくと、山荘は忽然と姿を消している。
目をこすりながら首を傾げていると、またもや山荘が数十メートル先に見える。今度こそはと近づいてみると、それはガレ場に鎮座した巨岩であった。
〈本格的にまずいな……〉
夕食用のチーズをかじりながら、かろうじて現状を客観的に認識できる程度の余裕は残っていた。雨はようやく止んだけれども、代わりに霧の濃さがますますひどくなり、岩に描かれたマークを追うのがほとんど不可能になってきた。
ビバークという用語が何度か頭をよぎったものの、いかんせん傾斜が急すぎる。とてもテントを展開できるスペースはないし、そのまま横になれば低体温症になるおそれがあった。白出のコルまで登りきるしかない。
正確な時刻は不明だが、おそらく20:30くらいだったと思う。永遠にこの地獄が続くかのような錯覚と戦っていたわたしの目前に、濃霧の奥から忽然と登山パーティが現れた。
あまりの唐突さに、わたしは真っ先に自分の正気を疑った。穂高岳山荘の前例がある。これも幻覚だと割り切ろうとしたのだが、それにしては手を伸ばせば触れられそうなほどの強烈なリアリティがあった。
彼らが出現――そう表現するほかはない――した場所は道幅が狭く、すれ違うにはどちらかが脇へ避けねばならない。わたしは馬鹿げていると思いつつも、山側の岩に背中をつけて道を開けた。
すると先頭の壮年男性がすまなさそうに頭を下げて、「どうもすいません」と確かにしゃべった。それだけなら空耳で片付けられたのだが、続いて彼は後ろを振り向き、「登り1人、みんな気をつけて!」と注意を喚起さえしたのである。幻聴ですますには無理があった。
ここで初めて、わたしは彼らの姿をまじまじと観察する機会に恵まれた。ザクロみたいに頭が割れているとか、身体のあちこちが欠損しているとか、心霊的な要素はいっさいなかった。どう見ても生きている人間であった。
彼らと遭遇した時間がデイタイムの範疇なら、まったく不自然な点はなかっただろう。ところがいまは日没後の20時台で、濃霧という最悪の天候である。
先頭の男性とすれ違ったあとも、次から次へと登山者が降りてきた。大人数のパーティだったらしい。一寸先は闇の濃霧から、瞬間移動でもしてきたかのように忽然と人間が吐き出されてくる。
誰もがどこにでもいそうな壮年の男女であった。ただ人数が尋常ではなかった。冗談ではなく無限にいるのではないかと思うほど、途切れることなく霧の向こうから登山者がやってくるのだ。

























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