雨が降りしきる深夜、田舎道を一台のタクシーが走っていた。運転手の中村は、無言で後部座席に座る女の存在を意識せざるを得なかった。黒いコートに身を包み、顔がほとんど隠れるほど深く帽子を被った女。彼女の瞳がバックミラー越しに中村の目を捕らえるたび、何故か冷や汗が滲んだ。
「どこまでお送りします?」中村はようやく声を振り絞った。
「峠の向こう側まで……」女の声はどこか遠い響きだった。
峠を越えた先は、何もない荒れ地しかないはずだ。気味の悪さを感じたが、中村は余計な質問をせず、アクセルを踏んだ。
車が峠を登り始めると、霧が一層濃くなり、ライトの光すら呑み込むようだった。やがて、車は見たこともない古びた洋館の前で止まった。
「ここです」と女が静かに言い、代金を支払って車を降りた。中村は彼女の後ろ姿を見送りながら、妙な胸騒ぎを覚えた。
翌朝、中村は気になって再びその場所へ行ってみた。しかし、そこに洋館など存在しなかった。ただ草木に覆われた荒地が広がるだけだった。
町に戻り、知り合いの古老にその話をすると、彼は震える声で答えた。
「あの洋館か……50年前に焼け落ちて廃墟になった場所だよ。そこに住んでいた女が、自分の秘密を守るために火を放ったと言われているんだ。そして、時々、乗客として現れるんだよ……」
中村は二度とその峠を通らなくなった。だが、彼は時折夢の中で、あの女がこちらをじっと見ているのを感じるという。
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