忌み井戸を祀るなかれ
投稿者:懐炉 (9)
子どもの頃、父方の祖父母が住む九州に帰省した時の出来事です。
当時の私は探検ごっこにはまっており、頻繁に家を抜け出しては近所を駆け回り、自然豊かな野山で昆虫をとって遊んでいました。両親はどちらかといえば放任主義、祖父母は孫に甘く自由にさせてくれたので、夏休みの宿題をサボっても咎める大人もいません。
8月中旬のある日、ぶらりと散歩にでかけました。まんまと祖父からお小遣いをせしめ、駄菓子屋にアイスを買いにでたのです。
しかし途中で悪い癖がでました。祖父が住んでいる田舎は過疎化が著しく、空き家がたくさんあったのです。屋根瓦が苔むして窓ガラスが割られた廃墟を見ていると、厄介な好奇心がむくむくもたげてきました。
ちょっと位なら寄り道していいかと思ったのが運の尽き。
塀を乗り越えて飛び下りれば、雑草が生い茂った庭がむかえてくれました。表札は見ていません。
「うわ~うちの庭よりずっと広い!」
きっとお金持ちが住んでいたのでしょうその家は、うちがすっぽり入ってまだ余る敷地を有していました。すっかりテンションを上げて走り回っていた時、何かに躓いて派手に転びました。
「いてっ!」
膝を擦り剝いた痛みに涙目で振り向けば、草に埋もれるようにして古井戸がありました。どうりで気付かなかったはずです。正直井戸を見るのは初めてでした。うちの親は水道水を使っています。
「中はどうなってるんだ?」
怖いもの知らずの私は即座に起き上がり、古井戸の中を覗きました。しかし暗くてよく見えません。水はあるのだろうか気になり、足元の小石を拾って投げてみました。するとぽちゃんと水音がたちます。底の方に少しだけたまってるみたいです。
なんだか楽しくなって続けざまにぽちゃんぽちゃんと石を放り込みました。さらに調子に乗り、小石から拳大に、しまいには一抱えもある石を掲げます。
「えいっ!」
無邪気なかけ声とともにそれを落とした直後……水音に代わって私の耳を貫いたのは、蛙が潰れたような悲鳴でした。
「ぐえええ」
「えっ?」
脳天から素っ頓狂な声を発して戸惑います。明らかに人の声でした。まさか井戸の底に誰かがいたのか?そうと知らずに石を投げ落とした自分の行為に青ざめ、縁から身を乗り出します。
「大丈夫ですかー!怪我はありませんかー!ごめんなさい、わざとじゃないんです!」
井戸の底は相変わらず真っ暗で静まり返っています。これでは人が沈んでいてもわかりません。もっとよく見ようと上半身を屈め……
誰かに突き飛ばされました。ぐらりと揺れた身体がたちどころに井戸の中へ落ちていきます。
悲鳴を上げたかどうかは覚えていません。覚えているのは水の冷たさと視界を包む闇だけです。
先ほどはほんの少しと言いましたが、実際に落ちてみると小学3年の私の腰あたりまで水嵩があります。
「誰かー、助けてー!」
大声を張り上げて助けを呼びました。当然ながら誰も来てくれません。もとより人の少ない村、しかも空き家です。祖父母と両親は家で寛いでいます。
ああ、馬鹿なことをするんじゃなかった。うちで大人しく宿題でもしてるんだった。本当なら今頃大好きなアイスを食べてたのに……。
なんだか哀しくなって洟を啜った矢先、水面にぷかりと浮かび上がった何かに気付きました。綺麗な水晶の数珠でした。
「落とし物かな」
透明な数珠に見とれ、何気なく手首に巻き付けてみます。その時、誰かが足首を掴みました。
「ッ!」
よき!
>ごめんなさい、わざとじゃないんです!
わざと石を投げ落としたくせに。
どっかの拝み屋が同じように蛇を神様にするってのは聞いたことがある。