私が次のターゲットに選んだのは、熊田という小柄な老婆だ。
彼女は重度の認知症で、ちょっとした刺激に対し過敏に反応し、排泄中にも大声を出す。しかし、他の利用者と比較して、御しやすいのも確かなのだ。
決行を翌日に控えた私は、愉快に鼻歌をハミングしながら排泄道具を片付けていると、隣のおむつ倉庫から男女の声が聞こえてくる。
男性の声は一瞬で判断できた。もちろん番場さんだ。
女性の声は……結城さんだろうか。若い女性はこのフロアに私と彼女しかいないので、必然的に結城さんが候補に上がるけれど、あんなに狭い部屋でなんの話をしているんだろうか。
まさか、私のことを話しているのかもしれないと、排泄バケツを放置して、倉庫前に行って聞き耳を立てる。
「ちょ、駄目だってば。仕事中はやめてって言ってるでしょ」
「えーいーじゃん。希美だってたまに触れてくるしさー」
「あれは別に……ちょ、ほんとやめてってばぁ」
普段の彼女からは想像もつかないような甘ったるい口調で、拒否する気もないのに言葉だけはやめてやめてという、私の大嫌いな女仕草を口にしていることはこの際どうでもよくて、私の愛する番場さんが、よりにもよって私が大嫌いな女と乳繰り合っていることに、私は絶望する。
なんで……なんでそんな女と付き合ってるの?
なんで私じゃないの? いつもあんなに庇ってくれたのに。
私のことが好きなはずなのに。
自分の中で何かが壊れた音をうっすらと聞き、私は予定を一日早めることに決める。
「……」
夕食後の就寝介助が必要なのはあと二人いる。そのうちのひとりが熊田だ。
排泄道具を持ち、私は食堂でウトウトしている熊田の元に行き、車椅子を動かす。居室は食堂に隣接しているので、そのままスッと熊田の部屋に入り、ベッド脇に車椅子を止めてから熊田をベッドにそっと寝かせる。
本当だったら怒りに任せてぶん投げたいところだけれど、ここで騒がれたら台無しになってしまうから。
そしてうーうー唸っている熊田の口にガムテープを貼り付けるが、唸り声が大きくなりだしたので、枕を顔に押し付けて外に声が漏れないようにする。
次に、後ろに両手を回し、手首をグルグルガムテープで拘束したところで、ドアを閉めていなかったことに気付く。
私としたことが……。さっきのショックで冷静さを失っていたのかもしれないと反省し、ドアまで移動しようとしたのだけれど、そこに立っている人物に視線が釘付けになって、私はベッドの横に立ち尽くす。
「若林さん……ほんと、残念だよ」
優しい口調で、言葉通り、心底残念そうな表情を作る番場さんに、私はなんて返事をしたらいいのかわからず、押し黙ってしまう。
「……結城さんとね、話し合ったんだ。若林さんが利用者さんを虐待してるんじゃないかって疑惑は前からあったんだけど、でも実際誰も見たわけじゃないし、決めつけるのもどうなのかってことでなあなあになってたんだけど、藤原さんのことがあったから、流石に証拠を掴んで対応しないとってなってさ」
「……」
「そしたら結城さんが、若林さんは番場くんのことが好きだから、私とイチャイチャしてるの見たら絶対利用者さんに八つ当たりするよって言ってきて……僕はそれはないんじゃないって両方の意味で否定したけど、どうやら、両方正解だった――のかな」
「……」
「万が一、それで利用者さんが怪我でもするようなことになったら大変だからって、一応僕もそのやり方を否定はしたんだけど、でもここで明らかにしておかないともっと酷いことになってからでは手遅れになるんだよって、結城さん、譲らなくて」
ああ、なるほど。全て合点がいった。
要するに、私は罠にはめられたのか。

























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