「あぁ。別に病気とかじゃない、ただ、ああでも言わなきゃ帰ってこないでしょう。あんたは。」
まぁ、どうせそんなところだろうとは思っていた。母は昔から嘘つきだったから。ただ、一瞬、ほんの一瞬、その穏やかな表情が曇ったように見えたのが気がかりだった。もしかして、本当は病気なのでは無いか。そうは思っても、深く問い詰めることは出来なかった。知りたくなかったから。
しかし気がかりなのはそれだけでは済まなかった。
「あぁ。そういえば母さんの寝室には入らないでね。散らかっているから。」
実家には何日か滞在することにしていたのだが、不思議とそんなことを言うのだ。母は昔から綺麗好きで部屋が散らかるなど有り得ない。妙だと思った。が、そんなことはどうだって良かった。
一番の気がかり。と言うより違和感。さっきからずっと気になっていた。リビングに入った時、俺が話をしている時、ツンと鼻を刺すように漂ってきた、あの臭い。
この、懐かしくも暖かい実家のどこかから、あの臭いがするのだ。腐ったキャベツにも似た、なんとも形容し難いあの臭い。
死臭が。この家のどこかから。
*
*
*
気のせいだと言い聞かせて、昔使っていた自室に戻った。
自室の中では死臭はしなかった。
しかしこうして十数年ぶりに自室にいると、何とも感慨深いと言うか、感傷的と言うか。ノスタルジックな思いに胸を打たれる。あの臭いのことさえ無ければの話だが。
そもそも気の所為だと信じたい。敏感になりすぎているだけ。疲れているだけだ。きっとそうだ。いや、絶対そうだ。だが言い聞かせようとすればするほど、”もしも気の所為で無ければ”という思考も回る。その場合、この家のどこかで何かが死んでいるという事になる。あの時タンスの裏で見たあの猫を思い出して嘔吐く。
あの臭い、あの光景はたとえどうでもいい生き物であっても見たくない。せめてちっぽけな小動物であれとも思う。そこで昔働いていた工場のネズミ捕りに掴まって死んでいたネズミを思い返す。あのサイズの死体の死臭はあんなに臭わなかった。
死臭に敏感な俺だからこそ分かる。少なくとも猫くらいの大きさかもしれない。
しかしリビングは綺麗に清掃され、隅々まで掃除が行き届いていた。母が猫の死体など見逃すはずもなく、そもそも野良猫を家に入れない。
「あ。」
思わず声が出る。先程の母の言葉を思い出したのだ。
『母さんの部屋、散らかってるから入らないでね』
もし、仮に、この死臭が気の所為では無いとしたら。この家のどこかになにかの死体があるなら。
それはきっと母の寝室なのだろう。そう確信した。
知らないフリをすればいいのに、どうしても気になってしまう。
もしも、仮に寝室になにかの死体があったとして、もしもそれが人間の死体だったとしたら。そう思うだけで心臓が止まりそうになる。
そもそも、この妙なタイミングで十数年音沙汰無しの俺を、電話で呼び出してきた時点で変だったのだ。
『最期に会いたい』と言うのは、人を殺してしまい、逮捕されるであろう自分の運命を悟ってなのか?
もしくは、人を殺めてしまい、その自責の念で、自ら命を絶とうとしているから、最期。という事なのか?
まだ死体も見てないし、臭いも本物だと確定していないのに、妄想だけは無限に湧き出てくる。このモヤモヤを抱えて、数日間母と対面で生活するのは少々しんどい。
よし。ならばこっそり寝室を覗き見て、疑念を晴らすまでだ。母も寝静まる深夜なら、音さえ立てなければ、きっと、大丈夫だ。


























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。