しかしこうして十数年ぶりに自室にいると、何とも感慨深いと言うか、感傷的と言うか。ノスタルジックな思いに胸を打たれる。あの臭いのことさえ無ければの話だが。
そもそも気の所為だと信じたい。敏感になりすぎているだけ。疲れているだけだ。きっとそうだ。いや、絶対そうだ。だが言い聞かせようとすればするほど、”もしも気の所為で無ければ”という思考も回る。その場合、この家のどこかで何かが死んでいるという事になる。あの時タンスの裏で見たあの猫を思い出して嘔吐く。
あの臭い、あの光景はたとえどうでもいい生き物であっても見たくない。せめてちっぽけな小動物であれとも思う。そこで昔働いていた工場のネズミ捕りに掴まって死んでいたネズミを思い返す。あのサイズの死体の死臭はあんなに臭わなかった。
死臭に敏感な俺だからこそ分かる。少なくとも猫くらいの大きさかもしれない。
しかしリビングは綺麗に清掃され、隅々まで掃除が行き届いていた。母が猫の死体など見逃すはずもなく、そもそも野良猫を家に入れない。
「あ。」
思わず声が出る。先程の母の言葉を思い出したのだ。
『母さんの部屋、散らかってるから入らないでね』
もし、仮に、この死臭が気の所為では無いとしたら。この家のどこかになにかの死体があるなら。
それはきっと母の寝室なのだろう。そう確信した。
知らないフリをすればいいのに、どうしても気になってしまう。
もしも、仮に寝室になにかの死体があったとして、もしもそれが人間の死体だったとしたら。そう思うだけで心臓が止まりそうになる。
そもそも、この妙なタイミングで十数年音沙汰無しの俺を、電話で呼び出してきた時点で変だったのだ。
『最期に会いたい』と言うのは、人を殺してしまい、逮捕されるであろう自分の運命を悟ってなのか?
もしくは、人を殺めてしまい、その自責の念で、自ら命を絶とうとしているから、最期。という事なのか?
まだ死体も見てないし、臭いも本物だと確定していないのに、妄想だけは無限に湧き出てくる。このモヤモヤを抱えて、数日間母と対面で生活するのは少々しんどい。
よし。ならばこっそり寝室を覗き見て、疑念を晴らすまでだ。母も寝静まる深夜なら、音さえ立てなければ、きっと、大丈夫だ。
*
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深夜2時半頃だったろうか。
なんだかんだ新幹線も使うような長旅だったので、いつの間にか眠ってしまっており、ハっと目が覚めた時にはこんな時間だった。音を立てないように部屋から出る。
俺の部屋を出ると、細い廊下があり、廊下の突き当たりが母の寝室だ。
当然電気は消えており、廊下は窓から差し込む月明かりで薄らと照らされているだけで、かなり暗い。ほとんど何も見えない。
























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