とあるマニアの心霊写真
投稿者:kana (210)
雑誌編集に携わっていた頃、一人のカメラマニアを取材したことがあった。
仮にSさんとしておこう。
実はSさんとはそれまでにも何度か顔を合わせたことがあった。
編集部に出入りしているカメラマンの撮影助手をやっていたのを見たことがあったからだ。
ある真冬のさなか、編集部内では来年夏に予定している心霊写真特集の話になっていた。
その時の会議でSさんの話が出た。彼がいくつか心霊写真を持っているという噂があるので、使わせてもらえないか打診してみようという話になり、ボクが担当になった。
連絡すると「いいっすよ」と軽いノリでOKをくれたSさん。
彼の師匠にも許可を取り、取材するためSさん宅を訪れた。
彼は両親と同居の一軒家住まい。古いたたずまいの2階建ての普通の家だ。
一人暮らしでワンルーム住まいのボクからすればそれだけでうらやましい。
家賃分を自由に使える。
「いらっしゃい。どうぞあがってください」
どうやら2階はすべて彼が使っているらしく、寝室とは別にオタク部屋というのを持っていた。そこにはPCやデスクがあり、壁にはぎっちりと大きな棚が設置され、大き目のケースがずらりと並んでいた。
「ずこいですねぇ・・・なんですこれ?」と聞くと、
「あぁ、カメラカメラ。全部カメラさ」と言って、いくつかケースを開けて見せてくれた。
「うわ~、懐かしい~~」ボクは思わず声に出していた。
そこには、かつての世界的名機「ニコン F3」があった。NASAの過酷な試験をパスして採用された高性能カメラだ。真っ黒ボディに赤いラインが1本入っていてカッコイイ。
何を隠そう、ボクも高校時代にはカメラにあこがれたクチだ。いつのころから写真は難しすぎて才能が無い事を知り、どこぞに売ってしまって今に至るのだが・・・。
オリンパスのOM-1もある。当時の一眼レフの中では一回り小さく、それでいて性能もいい。
ボディはオヤジっぽいシルバーで味がある。
そしてボクは「あっ!!」と声を上げてしまった。「リコーXR500」が出てきた。
「あぁ、これね。当時サンキュッパって宣伝やってかなり売れたらしいよ。一眼レフが数十万円した時代に3万9800円だからね。シャッタースピードは1/500で物足りないけど、初心者にはちょうどいいかな。レンズは癖のない50mmF2リケノンレンズで、バカにできない出来だし。この機体がカメラ小僧のすそ野を広げたのかもしれないよ」そうSさんは語った。
そう、これだ。ボクが高校時代に貯めに貯めたお小遣いでやっと手にしたカメラだ。
「ちょ、ちょっと触ってもいい?」ボクの声は上ずっていたかもしれない。
「いいっすよ」
ボクは久しぶりにその感触を味わった。今のデジカメにはないレバーがついている。親指で外側に引き出すとジーガシャンと音がして戻る。フィルム巻き上げを手動でするためのレバーだ。そうそう、昔はこのアクションにあこがれてカメラが欲しくて欲しくて仕方なかったな・・・と、そんな事を思い出す。
昔のフィルムカメラはすべてが機械仕掛け。せいぜいボタン電池が1個入っていて、露出計の針を動かすくらいにしか電力を使っていなかった。
「そうなんすよねー。昔のカメラはほぼ機械式で、壊れにくいし、壊れても修理できるし、案外この後の時代に出た電子制御やオートフォーカスのカメラなんかが使い物にならないガラクタになっちゃう。・・・でもそのXR500、実は『3個1』なんすけどね」
「えっ?『3個1』?」
これは恐いわ~ヒェ~~~
怖。
誰が撮ったのか分からない写真を持っている事もマニアならではですね。
Sさんのその後、写真ををどうされたのか気になりました。
とても読み応えありました。
↑kamaです。早々とコメントいただきありがとうございます。励みになります。
今回のは、ほぼオカルトや怪談なんてどーせ作り話だから怖くないよ、という怪談アンチの人をマジで心配させる話にしてみました。「あなた、コンデシどこに売りました?」
kamaです。書き忘れてました。このお話は創作ではありません。みなさまお気を付けください。
怪談と言いつつ怪談以外の部分がとても参考になる