私の実家がある地方の話です。
私がそこに住んでいたころ、その地域では、住民の半数ぐらいが同じ苗字なので、近所の人の話をするときは苗字ではなく屋号で呼んでいました。例えるなら、苗字は同じヤマモトでも、あそこのうちは「種屋」、向こうのうちは「飴屋」といった感じです。
今でも年寄りは屋号を使っています。
幼馴染の洋介(仮名)の家も例に漏れず屋号があって、「金魚屋」と呼ばれていました。洋介の実家は珍しい品種の金魚や錦鯉の養殖で財を成した家系で、その地域ではかなり裕福な部類でした。
私と洋介は幼稚園の頃から仲が良く、小学校に上がっても一緒にサッカー部に入部したり他の子たちと遊んだりしていました。
ある日、部活が終わった後洋介が一緒に帰ろうと声をかけてきました。
洋介の家は学校の北側にあり、私の家は学校の西側にある関係から、一緒に帰宅するとやや遠回りになるのですが、洋介と道草をしながらダラダラ帰るのは以前からたまにやっていたことなので、特に何も考えずいいよと返事して私たちは下校しました。
帰り道、いつもは明るい洋介が、珍しく重苦しい声色で私に「最近、うちの親がおかしいんだ」と話し始めました。
曰く、近頃洋介の家に変なお坊さんが出入りしていて、洋介のお父さんやお母さんがそのお坊さんを拝んだり、ご馳走をしたり、大金を渡したりしているのだそうです。
お坊さんは三日に一度ぐらいの頻度で夜の7時ぐらいに家にやってきて、応接間に通されると、そのまま3、4時間ぐらい家にいて、その間洋介のご両親はずっとお坊さんの相手をしており、洋介は一人で夕飯を食べて、風呂に入って、寝るように言われているのだそうです。
こっそり応接間の前で何の話をしているのか聞いてみると、そのお坊さんがまだ金が足りないとか、このままでは金魚屋は破滅するとか、そういう話をしているのだそうです。
私は子供心にそれはインチキだと思いました。悪い坊主が洋介のご両親を騙して、お金を巻き上げてるんだろうと思いました。
素直にそのことを洋介に伝えると、洋介もそうだよね、俺もそう思うと応えました。
洋介は、ご両親にあのお坊さんは悪い人だ、お父さんたちは騙されていると訴えたそうです。
するとご両親は凄く怒って、洋介のことを一晩中𠮟りつけたのだそうです。
そんな話をしていると、金魚屋のお屋敷の前まで到着しました。
「遠回りさせてごめんな。さっきの話は、内緒にしておいて」と洋介は私に言うと、家の中に入っていきました。
私は洋介が心配でしたが、内緒にしてほしいという洋介の気持ちも理解できたので、誰にも話さず心の中に留めていました。
それから数年の間に、金魚屋の周りでは次々に不幸が起きました。
まず、ある日突然洋介がいなくなりました。全校集会で校長先生が言うには、洋介は部活が終わった後一人で下校したことまでは目撃されていましたが、それから家に帰らず、警察に捜索願いが出されているとのことでした。そして帰宅するときは引率の先生が集団下校をさせるので、しばらく部活は中止という話になりました。
次に、金魚屋の一番大きな鯉の養殖池が、何者かによって水を抜かれ、鯉がほとんど全滅しました。
金魚屋はお金持ちでしたが、近所でトラブルを起こすということもなく、表面上は洋介のご両親も穏やかな人たちだったので、誰かに恨まれてそんなことをされたとは考えにくかったのですが、水を全部抜くのはちょっとしたイタズラ程度でできることではないため、私の両親も含め地元の大人たちは不思議だ、恐ろしいことだと話し合っていました。
そしてそんな不幸が続いても、洋介のご両親は取り乱したりせず、今まで通りに生活していました。洋介はきっと元気にしている、いつか戻ってくると周りに話していたし、鯉の養殖もそろそろ畳む時期だと思っていた、沢山の生き物を狭い池に閉じ込めておくのは残酷なことですなどと言っていました。
そして私が高校を卒業する頃、洋介の一家は地元から離れ、金魚屋のお屋敷や養殖池は全て更地になりました。
私も大学進学を機に地元を離れました。研究が忙しく暫く地元へは戻れていなかったのですが、四回生の夏には卒論もほとんど書き上げ、就職も決まったため、久々にゆっくりと実家に帰省することにしました。
地元に帰って驚いたのは、金魚屋の土地が巨大な工場になっていたことでした。親に話を聞くと、どうもその辺りの土地は半導体の製造に必要な水や立地の条件が高水準で整っていたので、某家電メーカーが大金を払って洋介のご両親から購入したのだそうです。
また、風の噂では洋介の一家は現在海外に住んでいて、この地域に毎年多額の寄付をしているそうで、学校や公民館の備品は全て金魚屋の寄贈品なのだそうです。
あんな不幸があったのにあの御大尽は立派だと、当時のことを知っている人たちはみな金魚屋を褒め称えているとのことでした。
母からそんな話を聞いた私は、十数年前のあの洋介の相談を思い出し、少し複雑な気持ちになりました。
そして、何となく実家にいるのが居心地悪く感じ、散歩に出かけました。
足の赴くまま散策していると、私や洋介もよく遊んでいた公民館に着きました。なるほど、これも金魚屋の寄付によるものなのでしょうか。かつては粗末な建物だった公民館は、コンクリート打ちっぱなしのお洒落な近代建築になっていました。
中に入ると、エントランスに巨大な水槽がありました。その水槽の中で、40センチはあるかという巨大な金魚が、ゆっくりと泳いでいました。
水槽の下にはブロンズの板が打ち付けられていて、そこにはこう掘られていました。
うわ、何だろう
凄く後味が悪い怖さ
「洋介はきっと元気にしている、いつか戻ってくる」
「沢山の生き物を狭い池に閉じ込めておくのは残酷なこと」
それで洋介は地元で広い水槽の中に一匹でいるんだね・・・
不思議な怖さ。
ちょっと詩的で不思議な感じです
怖い。ゾッとした
洋介は、ずっと一人ぼっちで地元にいたんだね…