心霊写真に関する短い考察
投稿者:ねこきち (21)
ここに一枚の写真があります。
写真には三人の女性が写っています。彼女たちは私の高校時代の友人で、私も含めた四人は高校卒業後も連絡を取り合い、食事に行ったり旅行に行ったりと親しく付き合っていました。
進学で私が一人関西に行った後も、三人は地元(東北の某県です)に残ったので、少々の寂しさは感じましたが、メールや電話での近況報告はちょくちょくしていました。
この写真は旅行先で撮ったものと思われます。2012年に完成した某ランドマーク──隠す必要もないですね。スカイツリーをバックに日焼けした笑顔をこちらに向けている三人は、実に楽しげで陰鬱さの欠片もありません。
写真の目的は元来、真実を記録として残すためだと思います。私のスマートフォンに保存されているこの写真もまた、真実の記録の一つと言えるでしょうか。
ただし昨今は写真加工技術が一般化し、写真の持つ本来の意味は少々揺らいでいます。歪めたり、消したり、付け足すことでねじ曲げられた写真は最早真実を語る物ではなく偽りを騙るものにその役割を変えつつあるのかも知れません。
写真の真実性という人間の認知を危うくする物として、心霊写真があります。科学的にはあり得ないものを写し、我々を恐怖させる心霊写真。何故心霊写真は怖いのでしょう。
第一の理由に、そこに写った「霊」が恐ろしい容姿をしているというものが挙げられます。怨みのこもった表情、生気のない肌色など、「霊」は安らぎとはかけ離れた見た目をしていることが多いと思います。こちらを楽しませる笑顔やポーズをとった心霊写真を、私は知りません。
第二の理由に、本来そこにあるはずのないものがあるという恐怖が挙げられます。中空に表れる身体の一部などがこれに当たります。逆に、本来あるべきものが無いという心霊写真もありますが、個人的に「あるべきものが無い」は「あるはずのないものが有る」に比べると怖くありません。これは人それぞれだと思います。
しかしながら、今挙げた二つは心霊写真そのものに恐怖を見出だすためのある意味後付けです。何度も言う通り、写真は真実を写すものではありますが、それを見る私たちがそこから真実以外の事象を感じ取ってしまえば、加工よりも容易く写真の真実性は薄れてしまいます。
多くの人が知っての通り、点が三つあればそれを人の顔と認識するほど、人間の認知とは曖昧でいい加減なのです。どんなに写真が被写体の真実を写し出したとしても、人の認知がそれを上書きすれば存在しない霊がそこに表れる。恐ろしくないものが恐ろしくなってしまう。ありきたりな言い回しをするなら、霊は人の心の中にいるということです。
ここに一枚の写真があります。
写真には三人の女性が写っています。彼女たちは私の高校時代の友人で、スカイツリーをバックに笑顔でポーズをとっています。
私はこの写真が怖い。
昨日スマートフォンのフォトフォルダを整理している最中に見つけた写真、私の撮った覚えのない写真、ファイルの日付が2024年5月になっている写真、この写真は何なんでしょうか?
だって彼女たちは13年前に亡くなっているんです。私だけ、あの時私だけ関西にいて、来年はみんなで間をとって東京に集まって遊びに行こうって、
この写真は誰が撮ったの
何故今、今になって何故彼女たちはこんなに笑っているの?
どうして私のスマートフォンにあるの?
あの時まだスカイツリーはできてなかったのに
この写真は心霊写真なのでしょうか?
色々な想像ができるけど話者の考察を伏線と考えると異常なのは写真の方じゃなくて話者の認知の方って可能性もありますよね。本当にその写真の友人たちは亡くなってるの…?
こういう話好きです。
スカイツリーができてないのに、その人たちは、スカイツリーをバックに写真を撮っている。
恐ろしいですね。
東日本大震災だよね
話者が東北出身で、「2012年」という数字がわざわざ出てきた辺りでうっすら察しましたが…切ない。
何故今なのかは確かに謎だけど、こっちでも一緒にいるよ、四人でスカイツリー行きたかったね、たまには思い出してね的なメッセージであってほしい…。