飲みサーの思い出
投稿者:件の首 (54)
20年以上昔、大学生の私は「郷土史研究会」という名の飲みサーに所属していた。
私が2年生の春、新入生を迎えた歓迎コンパが行われた。
不運だったのは、その年のうちのサークルの新入生はたった1人だった事。更に彼女、うちが飲みサーって事が分かってなかった。
押しに弱いタイプだったから、断って帰る事もできず、結構な量を飲まされていた。
結局、新人は意識を失ったんだけど、問題になるのを恐れて、救急車を呼ぶ事もなく本人の部屋に戻しておいた。私はその時、姿勢には気を付けて寝かせた。
そして「元気そうなので独りで帰した」と、口裏を合わせる事にした。
翌日、彼女の母親が部室棟を訪ねてきて、私が対応した。
私は謝るつもりだったが、逆に迷惑をかけたと、大変丁重に謝罪をされた。
昨夜の状況について、口止めされていない範囲で伝えると、他の人からも聞きたいから名簿が欲しいと頼まれた。
個人情報保護法前の時代でもあり、それほど非常識な要求でもなかった。
数日後、新人が植物状態になっていた事が判明した。不祥事扱いになりサークルは解体、私たちは心に深い傷を負った。
ところが話は終わってなかった。
社会人になってから、サークル代表、副代表を含む7人が、皆、アルコールに関わる事故か病気で死んだ。
当時のメンバーの間では、彼女の生き霊という話もあれば、元々酒と近い生活だったから偶然、という話もあった。
私も偶然説を支持する。
だって、あんな優しそうな母親が、そんな恐ろしい事を出来るとは、到底思えない。
そもそも渡した名簿は、私の名前を消したものだ。あの日も、別のメンバーの名を名乗った。
だから、今日届いた手紙の送り主があの子の名前なのは、多分生き残っているメンバーのイタズラだ。
そうでなければ……あの母親に誰かが私を売った事になる。
イッキ飲みのコールを始めたのが私だとしても、乗ったのは全員だ。
私ひとりに罪をなすりつける気なら、ただじゃおかない。
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