職人芸
投稿者:件の首 (54)
とある食肉業者に勤めていた頃の話である。
かつて大規模な食肉偽装が世間を騒がせていた事があったが、私が勤めていた会社も、似たようなものだった。問題化しなかったのは、その後会社が倒産したからに過ぎない。
この仕事をやっていて思ったのは、人間、案外味覚はあてにならない、という事だ。
固い肉を食べさせて、「自然の中で育てた」と説明すれば「味が濃い」「噛めば噛むほど味が出る」などと言い出すし、同じ肉で「老いた個体の肉だ」と説明すれば「臭みがある」「靴のゴム底を噛んでいるよう」などと言う。
この人間の盲点を利用したのが、うちの会社だ。
最初は、値段の高い肉のかさ増しに、安い肉を混ぜていた。卸す先は安売りのスーパーだ。目利きなんている訳がない。薄切り肉にでもしたら、目利きでも難しいし、細切れ肉では絶対に分からない。
これは入社当初には既にやっていたから、一体いつから始めたのかは分からない。
私が入社してしばらくはそれでやっていけたのだが、相場が下がったのかより多くの売上げを目指したのか、今度は水を足すようになった。
具体的な方法としては、注射器で肉に水を注入する。注射をした時、液体は身体に留まるが、それと同じで簡単ににじみ出たりはしない。これでグラム単価は同じで売るのだから、原価率が下がって儲けが増える。単純な話だ。
だがこれは、悪手だった。
水は生の肉には留まるが、熱を加えれば出てしまう。
煮るならごまかしも効くが、焼いた時の縮み方は尋常ではなくなってしまう。
こうなれば、単に質の悪い肉だ。
卸していたスーパーから切られ、もっと低価格を売りにする量販のスーパーや、加工業者が売り先になった。
このため社長は、混ぜる肉の質をどんどん下げていった。
その日の昼休み、私たちは正社員用の休憩室で昼食をとっていた。
社長も同じテーブルを囲んで昼食をとるのが習慣だった。
「社長、売上げあまり伸びませんね」
営業部長が何とはなしに話しかける。
「なんで他人事なんだよ。お前ぇが売らなきゃ伸びるワケねえだろうが」
社長の言葉遣いは乱暴だが、口調は穏やかだった。
「評判イマイチなんですよ」
「しょうがねえな。またコスト下げるか」
「だったらうちの近くに葬儀屋ありますよ。紹介しましょうか」
お調子者の菅原が軽口を叩く。
「馬鹿野郎、うちは『人間は』使わねえよ、菅原。四つ足が限界だ」
「じゃあ、コタツでも売りますか」
「そういう『あたる』ものはダメだろ」
何度か繰り返された冗談に、場にいた皆が笑った。
私は、何となく社長の『人間は』のニュアンスに引っかかりを感じていた。
そもそも闇医者が未だに存在しているという事だね。