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後日談を少しだけ書いておく。
翌日奴隷用の鉄球を括りつけられたような足取りで登校してみると、いじめの主犯格であるあっくん、梅君、宗宮君は申し合わせたように3人とも青い顔をしていた。誰もわたしに話しかけようとせず、まったく無視しているのだった。ためしにわたしのほうから声をかけてみると、まるで幽霊に出くわしたかのようにぎゃっと叫んで離れていく。
どんな手段を講じたのか想像もつかなかったが、カズはかけがえのない贈りものを残してくれたのだった。
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なぜこのようなまとまりのないエピソードを投稿する気になったのか? 読者は疑問に思われるかもしれない。
ご期待に添えられず申しわけないのだが、特にこれといった理由はない。ただ誰にでもふとした拍子に、人生の分岐点を思い返して懊悩する瞬間があるはずだ。あのときこうしていたら、あのときあんなことを言わなかったら、自分の人生はどうなっていただろう、と。
サラリーマンとして働き始めて20年以上が経ち、わたしもすっかり社会の歯車となって久しい。8年ほどは印刷業に、現在は輸出入関係の仕事と内容こそ変わっているものの、社会人歴だけで見ればいつの間にやら中堅クラスである。
いまの生活に満足していないわけではない。最終学歴の割に収入はあるほうだろうし、仕事内容も(同レベルの年収帯と比べれば)それほど苛烈ではない。月残業が100時間を超えることもしばしばあるが、人手不足の中小企業ならどこも似たようなものだろう。
外国人顧客が締め日の翌月までに請求金額を支払わなかったとき。税関検査で写真に申告漏れのワイパー部品が積まれていたことが発覚したとき。荷主都合で書類訂正をさせられたのに、B/L訂正料50ドルを負担させられたとき――。仕事に倦む瞬間は日々のそこかしこに、落とし穴のごとく仕かけられているものだ。
竹槍が底に設置された極悪な落とし穴に落ちた夜には、わたしはどうしても小学6年生の8月31日を思い出してしまう。もし彼らの誘いに乗って家を飛び出していたら――。
捜索届を出されて警察に保護されたただろうか。メンバーから落ちこぼれて野垂れ死にしていただろうか。このあたりが現実的な顛末だろう。だがすべてが噛み合って〈ディアスポラ〉とともに日本中を旅してまわることができていたとしたら?
今日もわたしは地下鉄に乗って出社する。いつかどこかで、カズたちに会える日を夢見ながら。
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この原稿を仕上げる直前のつい先日、実家に帰省する用事があった。
わたしは緑茶をすすりながら母親に、座を盛り上げようと軽い気持ちで〈ディアスポラ〉の話題を振ってみた。「ああおったね、変な子らがちょっとだけ」という返答を期待していたのだが、母は彼らのことをまったく覚えていなかった。
実家から例の廃工場は、徒歩1分を切るほどの距離感である。見知らぬガキどもが日夜うろついているのを母が目撃していないはずがない。
わたしはじんわりと嫌な汗をかきながら、水源管理の仕事から帰ってきた父にも聞いてみた。彼も知らなかった。こう付け加えもした。そもそもそんな奴らがいたら自治会で問題になっているはずだ、と。
確かにその通りである。田舎の集落はよそ者に異常なまでの警戒感を持っている。浮浪者が廃工場に住み着こうものなら、2日目には全戸に知れ渡っていて、所轄の警察署には通報の嵐が舞い込むことになったはずだ。
わたしの記憶では、カズたちは2か月以上廃工場をねぐらにしていた。彼らが透明人間でない限り、とうてい達成できない滞在期間である。
両親が同時にもうろくし始めたのだろうか? それともわたしの記憶が間違っているのだろうか?
そもそも例の5人とは、いったい何者だったのだろうか? 彼らと一緒に行っていたら、わたしはどうなっていたのだろうか? 一連の思い出はわたしにとって、かけがえのない宝物であった。帰省するつい先日までは……。
なんの変哲もない日々のそこかしこに、日常を破壊する落とし穴が空いている。
彼らはそんな落とし穴だったのだろうか。
























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