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呪い・祟り

沈丁花さんによる呪い・祟りにまつわる怖い話の投稿です

教えておくれよ、あの日のことを
長編 2026/05/21 13:30 153view

ーーその起こりは、今から64年前に遡る。
 それは長雨月(9月)の終わり頃だったが、俺の在所は記録的な大雨と暴風とに見舞われて、刈り入れ途中の稲も畑の野菜もことごとくダメになった。
 そのとてつもない大嵐めは東海•近畿•北陸地方を中心に甚大な浸水被害をもたらし、実に多くの人々が安全な生活をおびやかされた。そして、親父も俺もその自然の猛威によってかけがえのないものを失ったのだ……。

「なあ、親父、いつまでもあの用水路と家とを行ったり来たりしとるのは、ツマ子が憎いからなんだろう?」
俺は、親父の生前の気品ある姿からかけ離れた身体を見て訊いた。
「半分はそうだ。」
と、親父は答えた。親父は眉間にシワを寄せ、その身体からは不気味な青白い炎をほとばしらせている。
「天国になんぞ行ってしまったら、あの嫁(ツマ子)にされたことを何もかも忘れてしまうから、ここに残った。わしはあの嫁にされたことを水に流せる程、できた人間じゃあない。」
と早口で言うやいなや、親父の顎、首周り、腕、腹回り、尻のあたりは浮き輪をつけたように膨れ上がった。親父は血の巡りが悪い状態で息絶えたので、顔や手足はいまだに灰色になったままだ。
 死んでから何十年も経つのに、こんな姿のままでいる親父が、俺は可哀想でならなかったーー親父は昭和28年(1953年)のあの台風の最中に田畑を見に行き、そのまま氾濫した用水路に落ちて命を落としたのだ!
 

「親父、本当は″事故死″じゃないんだろ?こんなバカな話はねえけど、俺、近所の人が『自殺やったんじゃないの?』と呟いたのを聞いたんだ。何も気づいてやれなくてごめん、何もやってやれなくてごめん、親父、どうか許してくれ……。」
 俺は自分の不甲斐なさと情けなさが悔しくて、ただ親父の前に跪いて、ぽろぽろと涙をこぼした。

「おまえは何も悪くねえ。わしがあの日、あの用水路に魅入られてしもうただけだ。」
と、親父は穏やかな目で俺を見つめ、俺の右肩にごつごつした大きな掌を置いたーーやはり親父の手にはもう、温みなんてない。
「どういう意味だ?」
と、俺は泣きぬれた頬を手で拭いながら、親父の白目を見上げたーー幽霊になって永いと、瞳が無くなってしまうんだなーー。
「わしは確かにあの暴風雨の中、あの用水路の中にはまり込んでしもうた。なにしろ、何十人もの人を呑み込んできた井路だ。水死者のなれの果て共が″おいでおいで″をしていても、全くおかしくねえ。」
『じゃあ、親父はその幽霊どもに足首でも掴まれて、落っこちたのか?』
「違う。わしはおっそろしい音を立てて吹き荒れる風によろけて、機関銃みてえな強烈な鉄砲雨に打たれながら、ツマ子さんの暴言を思い出していた。あの人のでっかいキンキン声は、頭によう残るんじゃ。あの井路の淵に立って土色の渦潮を巻く大水を見ていたら、わしの両親の顔が水に浮かんで見えたよ。」
「何でだ!?じいちゃんとばあちゃんは、二人とも病気で亡くなったんだろ?」
「その通りじゃが、あのとき確かに両親が水から顔を出して、『もういいんだよ』と微笑みかけてきたんじゃ。わしはその時、『もうツマ子さんから離れてもいいんだ』と思うてしもうた。そしたら、わしの足元の土が急にずるりっと崩れて、そのまま用水路の中に落ちてしもうた……。」

 親父は多分、この時相当に追い詰められていたに違いない。俺は悲しくなって、親父の仄白く膨張しちまった顔を見つめた。

 
「生臭くて汚い水に流されてもがいてたら、ツマ子さんに『非国民』『軍人さんの息子とは思えない』と言われたことをまた思い出してな。あの嫁には実に色々と悪口を言われたが、一番辛かったのが、生まれが悪いとなじられたことだった。だが、水に揉まれるわしの目の前で、父が『おまえは自分に出来ることをしっかりできた』と褒めてくれた。わしの母も、『あなたは奥さんをとても大事にしていた。あなたのおかげで皆が幸せだったのよ』と優しい声で語りかけてくれたから、わしはすっかり嬉しくなった。田畑の作物を押し流して、人間の血汗を無駄にしやがった憎たらしい汚水なのに、まるで温泉水のように心地よかったよ。多分、わしはその時死んだんだろうな。」
と、親父は俺に語った。

 俺は、親父が自分の出自にコンプレックスを抱いていることに気づいていた。親父の母方のおばあさんは、ヨーロッパ系のロシア人だったのだ。
 ツマ子の声はよく通るので、ご近所にも親父との口喧嘩が丸聞こえだった。
 あいつは俺のいない所で、親父を「ソ連に帰れ、このコンケツが」としつこく罵っていたのだ!そうして、親父はある時何かがブチッと小さな音を立てて千切れるのを感じたのだろう。
「じいちゃんもばあちゃんもいい人だったなあ。眼光が穏やかで、話し方にも温みがあって、夫婦仲もよくて俺は大好きだった。俺にとって、ばあちゃんは″アイノコ″なんかじゃなくて、普通の人間で俺の大事な家族だったよ。」
と、俺はすすり泣く親父を慰めてあげた。そして、
(やっぱりお前が親父を殺したようなもんだったんだな)
と、改めてツマ子への憎しみをたぎらせた。

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