Y子ちゃんも、母や祖母たちの、よそよそしく冷たい態度から、幼心にも うすうす自分が歓迎されていないことを感じ取っていたのでしょう。
「たまには私の家でも遊ぼうよ。」
と誘っても、
「ううん。いいの。お外かY子の家で遊びたい。」と頑なに拒むのでした。
そんな事情もあって、私は、いつしか、外で遊ぶ時以外は、Y子ちゃんのお家で遊ぶようになりました。
Y子ちゃんのお家は、前述したように、稲荷神社の鳥居をくぐった先に、ぽつんと建っていました。
当時でも珍しい「専業農家」で、お家の前には、1町部ほどの田畑、鶏小屋と馬小屋、農耕具やリヤカーが数台置いてある大きな納屋があり、敷地内には、本宅とは別に、目的が定かではない10坪ほどの小さな平屋が3件建っていました。
Y子ちゃんと遊ぶ時は、放し飼いになっている十数羽の鶏を避けながら、家屋と繋がっている馬小屋を通り過ぎ、ぐるりと半周した先にある玄関から中に入らなければなりません。
実に「わかりにくい」玄関は、件の稲荷神社とは、ちょうど背中合わせの位置にありました。
当時は、鳥居をくぐりらず、別の道を通るのも、玄関が、わかりにくい場所に位置しているのも、なにか理由があるんだろうなぁと思うぐらいで、いちいち気にも止めてはいませんでした。
ただ、とても広いお家にもかかわらず、遊ぶ部屋は、いつも玄関をあがってすぐの南側に面した十畳程の部屋に限られていました。
他にも部屋があったはずなのに、足を踏み入れることも、ちょっと背伸びをして、長く暗い廊下の先を覗いてみることすらありませんでした。
私とY子ちゃんは、駄菓子屋さんで買ってきたお菓子を食べながら、紙の着せ替え人形で遊んだり、クレヨンで、わら半紙に描かれた「こまつの塗り絵」を楽しみました。
敢えて、3つ目の理解できなかったことを挙げるとすれば、Y子ちゃんのお家で遊んでいる間、A子さんとT子さんのふたりのお姉さん以外のご家族(ご両親や、お祖父様・祖母様)と ただの一度も、お目にかかったことがないことでしょうか。
私の両親から、Y子ちゃんのお宅は、専業農家と聞いてはいましたが、一日中農作業に徹しているわけでもないでしょうに、全く姿を見せないなんてあり得ません。
学校の登下校時や休日の夕方、たまに近所で見かけることはありましたが、素封家の割には、質素というには、違和感が拭えない前近代的な服装をしていました。
地方都市とはいえ、戦後の復興著しい高度経済成長期、所得倍増に沸いていた時期です。時代の流れに逆行するかのようなご家族の様子に、Y子ちゃんのご一家について、祖母にそれとなく尋ねてみたことがありました。
祖母からは、
「あの人たちには、触れてはいけないよ。私達とは、違うのだから。」
と、予想外の答えが返ってきました。
更に、私の問いかけが、不愉快だとばかりに、
「なんでこんな子が、生まれてきてしまったのかね。」
と、ぶつぶつと呟きました。
そばで聞いていた母は、祖母を嗜めるように、
「お義母さん。この子の前では、あまりきついことはおっしゃらないでください。子どもには罪はないので。あの方たちについても。」
と、言い含めると、料理の手を休め、私の肩に手を置き、おもむろに話し出しました。
母は、私の目を見つめ、
「あのね。お母さんやお祖母さんは、あなたにY子ちゃん以外のお友達とも遊んでほしいの。あなたには、他にお友達はいないの?」
と、沈痛な面持ちで、聞いてきました。
怖い
すみません。作者から一言お詫びを申し上げます。一度、アップしましたが、読み直してみると誤字脱字、表現の誤りが多く、一部もしくは数か所訂正させていただきました。再アップいたします。
ご笑覧いただけましたら幸に存じます。
貴重な体験でしたね。
怖いというよりちょっと感動した。
すみません
一時間後の後が語になってましたよ
あと面白かったです
*作者より
長編、しかもかなりひと世代前のお話。月の後半に投稿したにも関わらず、こんなに多くの方に読んでいただけるなんて恐悦至極にございます。
何度か手直しさせていただきましたこと、ところどころわかりにくかった箇所や読みにくい箇所など申し訳ございませんでした。今後、精進してまいりますので、お許しいただきたく存じます。
先月後半は、皆様のコメントに支えられ、励まされ、また筆を執ってみようかなと思いも新たにすることが出来ました。
心より感謝申し上げます。
お読みいただいた皆様ありがとうございました。
あまり閲覧されないようでしたら、筆を折る覚悟でいました。
でも、心機一転。新たな気持で新たなペンネームでこれからも書き続けたいと思います。
遅筆ではございますが、投稿した暁には、ご笑覧いただけましたら幸いに存じます。
ご指摘いただきました箇所、1時間語→1時間後に 訂正いたしました。
ありがとうございました。