そこには紛れもない裸の赤子が手足を懸命に動かしていた。
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俺と理菜は25歳に結婚してから5年過ぎても、子宝に恵まれなかった。
理菜はたまに婦人科に行き、掛かり付けの医師に相談に行ってたようだ。
それで今度一緒に不妊治療に行こうかと話していた矢先、突然理菜の懐妊が判明した。
それは二人が31歳の春先のこと。
それからはあれよあれよという間に10月10日が過ぎ、その冬、理菜は無事元気な男の子を出産した。
それから息子の新一は順調に育つ。
新一の顔は全く俺には似ておらず、妻似だった。
背丈もどんどん伸び、小学校5年の時には既に170センチ近くになっていた。
俺も妻も身長は低い方だ。
しかも学校の成績もかなり良く特に算数はずば抜けていて、小学校3年の時には小学校の全過程を終えてしまうほどだった。
俺も理菜もどちらかというと算数や数学は苦手で文系だったから、息子はもしかしたら突然変異なのだろうか?と頭を傾げていた。
そしてそれは新一が小学6年生の時のこと。
年初の1月に学校の帰り道、信号を無視した車に跳ねられる。
妻から連絡を受けた俺は仕事中だったが、会社に事情を告げすぐに病院に駆けつけた。
その時には既に息子は集中治療室に運ばれていた。
医師の説明によると息子には輸血が必要なのだが、息子の血液型に適合する血液が病院に不足しており、急遽センターから取り寄せているということ。
聞くと息子の血液はAB型ということだった。
医師の説明を聞いた時一瞬だが、俺は心の深いところでどこか居心地悪さを感じる。
それから結局無事に血液は届けられ、息子は一命を取り留める。
ただ脚を複雑骨折しており、あばら骨も数本折れ心臓近くの血管も傷つけており、1、2ヶ月の入院が必要とのことだった。
息子の手術及び入院の費用はかなりの高額になった。
当時俺は仕事を転職したばかりで安月給で一軒家のローンの支払いもあり、蓄えも十分になかったから妻と話し合う。
結局妻が実家に泣きつき出世払いということで、費用の肩代わりをしてもらった。
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ただの糞女ですやん
遺伝子検査は抜かりなくやっておかないとね☺️
托卵完了
激強