クラシ北尾根はいわゆるバリエーションルートである。一般ルートではないので指導標はまず期待できない。あったとしても有志による手作りの簡便なものがときおり設置してある程度だ。一般ルートなら密に巻いてあるリボンも数十メートル間隔でしか見られず、ノーミスでクリアするとなると相当の熟練を要する。
わたしは何度も地図を見て地形を頭に叩き込み、尾根芯からはずれないように意識しながら、踏み跡を頼りに歩いた。小規模なアップダウンをくり返しながら、徐々に標高を下げていく。
難所のクラシジャンダルムを危なげなくクリアし、ワサビ峠と思われる顕著なコルにドンピシャリで降りてきたときには、安堵のあまりその場にくずおれそうになった。ネットの記事で予習した限りでは、そのまま北上すればお金明神へ、東進すればオゾ谷を経由して神崎川へ降りられるはずだった。その旨を記した手作りの指導標もあるらしい。
わたしは現在地がワサビ峠であるとほぼ確信していたけれども、裏付けがとれるのならそれに越したことはない。指導標は特徴的な大木に針金で括りつけてあるとのことだった。
くだんの大木はすぐに見つかったのだが、肝心の指導標が見当たらない。木にはなにかが長いあいだ設置してあったような跡が刻まれている。この木で間違いないはずだ。参照したネットの記事が1年ほど前の記録だったことを思い出す。経年劣化ではずれてしまったのだろうか?
あたりをうろついて探してみると、指導標は不可解な場所で見つかった。ワサビ峠からオゾ谷方面へ下る薄い踏み跡から、数メートル以上もはずれた別の木に括りつけられていたのである。念の入ったことに、峠から見えないよう谷側を向いた状態だった。
何者かの悪意を感じずにはいられなかった。こんな見当違いの場所に付け替えられていては、道ゆく登山者の目に止まる可能性は限りなく低くなる。
わたしは気味の悪さを感じながらも慎重に斜面を下り、問題の指導標が記事に載っていた写真と一致しているか確かめてみた。――思わず一歩後ずさった。それは赤のマジックペンですっかり塗りつぶされていたのだ。よく見ると下のほうにわずかなスペースが残されており、神経質そうな角ばった字体でなにか書いてある。
〈楽しく安全な登山を〉
赤インクは真新しく、有機溶剤系の刺激臭が鼻をつく気さえしてくる。ほんのタッチの差で、この指導標が塗りつぶされたとしか思えない。それに気づいた瞬間、なんでもない木々のざわめきが妙に気になり始めた。ガサリと葉叢が揺れただけで、指導標を台なしにした狂人が木陰に潜んでいるのではないかという妄念がとめどなく湧いてくる。
逃げるようにクラシ北尾根ルートに復帰した。本来の位置から故意に見づらい場所へ動かされ、真っ赤に塗りたくられた指導標。皮肉めいた標語は犯行と同時に書き足されたもののようだ。1年前のネット記事の写真にそんな文字はなかった。
ワサビ峠から北上し、作ノ峰(965メートル)に至る。ここにもいくつか山岳名を記したプレートがぶら下がっていたのだが、そのどれもが真っ赤に塗りつぶされていた。〈楽しく安全な登山を〉。例の標語も漏れなく添えられている。
それ以後も高岩などのマイナーピークに着くたびに指導標を確認したけれども、全滅であった。1つ残らず赤色で塗りたくられ、〈楽しく安全な登山を〉のフレーズが不気味さに拍車をかけている。問題の人物は相当徹底的にやったらしい。
普段はあまり地図を開かず勘を頼りに歩く怠惰なわたしも、このときばかりは血眼になって数分に1回は見るように心がけた。その甲斐もあってか支尾根に迷い込むことなく歩けていたのだが、どうも様子がおかしい。正体不明の違和感がずっと付きまとっている。喉に小骨が刺さったようなもどかしさを抱えながら歩いていると、不意に気づいた。枝に巻いてあるはずのリボンがまったくといってよいほど見つからない。
ネットの記事には確か、バリエーションにしては密にリボンが巻いてあると書いてあった。ところが現場にはまったくと言っていいほどそれがない。いったいどこにいってしまったのだろうか?
それらは間もなく見つかった。リボンはほぼすべて地面に落ちており、堆積した落ち葉に埋まっていたのである。経年劣化による破損がこれだけ同時に起こるはずはないので、これは明らかに作為的な工作であると断定せざるをえない。拾って確かめてみて、それが確信に変わった。
リボンはハサミかなにかの、鋭利な刃物で意図的に切断されていたのである。
その後もリボンは見つかったが、ほぼすべてが落ち葉に埋もれているばかりであった。いちいち確認したわけではないけれども、おそらくそれらのどれもが人為的に切断されていたはずだ。
何者かの悪意が山に満ちていた――。
* * *
急ぎすぎていたのだろう。気がつくと、わたしは見知らぬ谷に降りてしまっていた。
いまだから推定できるが、クラシ北尾根の西に流れる谷尻谷へ間違って降りていたのだった。もちろん鈴鹿深部に分け入り始めた当時のわたしは、谷の名前など知る由もない。
谷尻谷はクラシ北尾根などとは比較にならないほど奥地の、鈴鹿でも最深部にあたる領域だ。登山道はいっさい通されておらず、指導標は数キロメートル範囲に1つあるかないか。落差10メートル級の大瀑布も1つや2つではない。玄人筋だけが楽しめる秘境といってよいだろう。
当然わたしの手には負えず、沢の右岸をあてもなくさまようこととなった。明確なトレイルのない沢は方向感覚を簡単に喪失させる。わたしは下りてきた峠の位置すら見失っていた。破裂しそうな勢いで心臓は拍動し、時間は無情にも過ぎ去っていく。
(なんとかしなければ……)
焦燥感に駆られ、進退窮まったわたしは、目的もなく谷尻谷の出合へ突っ込んでいった。なにかを期待していたわけではない。まったくの偶然なのだが、その出合はたまたま〈コリカキ場〉と呼ばれるランドマークで、手作りの指導標が設置してあるスポットであった。
人工物らしきものが木に括りつけてあるのを遠目に見て、心の荷が一気に軽くなった。大雑把でもよいから現在地がわかれば、それを頼りにクラシ北尾根に復帰することくらいはできる。
祈るような気持ちで指導標の前に立ったわたしを待っていたのは、赤く塗りつぶされた板切れだった。
奔流のように悪寒が走った。どことも知れぬ深い谷の、訪れる者とて絶えて久しい深山幽谷にまで魔の手が伸びている。ここまでくると、もう精神疾患の域ではないか。
わたしはこのとき、恐怖に耐えきれずに発狂したのだと思う。どう行動したのか断片的にしか覚えていないのだ。おそらくパニック発作に陥り、谷尻谷の右岸をぐるぐる駆け回ったあげく、遡行できそうな枯れ沢に突っ込んだのだろう。


























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