日本アルプスのうちでどこが好きかと聞かれれば、わたしは迷わず中央アルプスだと答えるだろう。
荒々しい岩稜と多数の名峰を擁する北アルプスでも、手つかずの自然が残っている南アルプスでもない。山脈の規模が小さい、3,000メートル峰がない、ロープウェイで庶民化されたなどと散々な言われようの中央アルプスが、なぜか好きなのだ。
自宅からもっともアクセスがよいというのもあるのだろうが、山脈自体がコンパクトにまとまっており、日帰りでもアプローチしやすい点は長期休暇の取りづらいサラリーマンにとって、心強い味方である。
どの山域にもフリークはいるものだ。そのエリアを知り尽くし、一般登山道はもちろんのこと、バリエーションも数多くこなす真正のマニア。この手の山屋は愛着を持った山域に入り浸っているので、そこへ行けば嫌でも顔を合わせることになる。
20代後半から30すぎごろまでのわたしは、全身から横溢する体力を持て余していた。夏季ともなれば毎週のように中央アルプスへ出かけていったものだ。そのどれもがロープウェイを使わず、標高差1,.500メートル以上の登りをこなしていたと書けば、当時のわたしのこだわりがわかってもらえるものと思う。
以下に語るのは、そんな中央アルプスで出会った1人のフリークにまつわるエピソードである。
* * *
わたしは30歳前後の全盛期のころ、中央アルプス南部をよく攻めていた。檜尾岳、空木岳、南駒ヶ岳、仙涯嶺、越百山。ロープウェイの架設された北部の賑わいから隔絶され、森閑と静まり返った南部は、人混み嫌いのわたしにとって居心地のよいフィールドであった。
その日は確か9月の下旬で、カラリと晴れ渡った絶好の登山日和だったと思う。伊奈川林道から南駒ヶ岳へ至り、さらに北上して赤梛岳~空木岳をハント、駒峰ヒュッテで一泊後、木曽殿越えから木曽へ下山するというコース取りだった。
9:00ごろ伊奈川林道の駐車場を出発し、終始急登の南駒ヶ岳への登りを無心になってこなす。直下のハイマツ漕ぎで体力を根こそぎ持っていかれ、南駒ヶ岳(2,841メートル)に這い上がった時点で14:30になっていた。ザックを下ろして心地よい風に吹かれていると、南側の越百山方面から単独の男性が登ってきた。
短く刈ったごま塩頭に迷彩柄のバンダナを巻き、東条英機のような縁なしの眼鏡をかけた初老の男性。わたしはこの人物と会うのがこれで4回目だった。それもすべて中央アルプスである。特徴的な見た目なので自然と覚えてしまい、2回目以降はそれとなく意識するようになっていた。眼鏡の形から、わたしは彼のことを心中で〈東条さん〉と呼んでいた。
東条さんもわたしを覚えていたのだろう。陽気に片手を挙げた。
「また会ったね、青年」
わたしはぺこりと頭を下げて応えた。
「どうも、ご無沙汰してます」
彼は3,000メートル級の山に持っていくには小さすぎるザックを無造作に投げ出し、わざとらしく息を吐いた。
ここからはお定まりの会話が始まった。どこからアプローチしたのか、登山道の状況はどうか、コマクサやチングルマは咲いているか、これからどこまで行くのか、木曽からのアプローチは林道歩きが長すぎる、檜尾小屋を有人化したらもっとこの山域は盛り上がるはずだ(驚くべきことに、これはのちにクラウドファンディングによって実現する)、など。
わたしは誘惑に勝てず、気になっていたことを聞いてみた。
「中央アルプスでよくお見かけしますね。この山域がお好きなんですか?」
「まあ……好きというか、なんというか」
てっきりフリーク特有の熱意が吐き出されるものと思っていたのだが、東条さんの歯切れは悪い。
「どういうことです」
「青年は中央アルプスが好きかい」
「そりゃまあ。ヤマヒルも出ませんしね」
東条さんは水筒からお茶を注ぎ、対岸にそびえる南アルプスの稜線を眺めている。心だけどこか遠くへ飛翔しているかのようだ。
「ずいぶん前のことだけどね。俺には登山仲間がいた」
彼は問わず語りにぽつりぽつりと話し始めた。
* * *
東条さんには若いころ、ともに山を極めんとする児玉さんという同士がいた。
2人は奥穂高~西穂高縦走や剱岳の北方稜線などの難ルートをあらかたクリア、その後は沢登りやバリエーションにも挑戦し、山屋としてのキャリアを着実に積んでいったそうだ。
























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