部屋は真っ暗なのに何故か女の姿だけは鮮明に見える。
身体が動かないから逃げることも耳を塞ぐこともできず、声すら上げられない。
今回は中々意識を失うこともできなかった。
できることはただ目をつぶり、消えてくれ消えてくれと念じるばかり。
気が狂う一歩手前だったという。
そして気付いた時には日が昇っていてあの女も消えており、身体を起こすと全身が汗でぐっしょり濡れていた。涙も溢れていた。
もう認めざるを得ない。
この部屋はいわゆる「事故物件」だったんだ。
ここに至ってそう確信した広瀬さんはすぐに管理会社へ連絡した。
事故物件は入居前に告知する必要があるはずだ。でも、そういう話は一切なかった。
そんなのはおかしい。どういうことか問い詰めてなくては。
応対に出た担当の人に幽霊が出た件を伝えると担当者はしばらく黙り込み、「幽霊・・・というのは手首を切る女の霊、でしょうか・・・?」と逆に訪ねて返してきた。
やっぱり知ってたんだ。
知ってて私に説明無く部屋を貸したのか。
語気を強めて抗議すると担当者から返ってきたのは予想外な釈明だった。
このアパートで過去に人が亡くなるような事件・事故の類いは一度も無く、更にアパートが建つ前は墓地等ではなく単なる駐車場であり曰くは何もないこと。そして同様の霊の目撃報告は確かに以前にもあったが過去に2件のみと極端に少なくしかも広瀬さんとは別の部屋で起きた事であり、そもそも心霊現象というのは客観的証明が難しい性質であるが故、事前に伝える必要はないと判断した。
・・・という内容であった。
もちろんこれで広瀬さんが納得するはずもない。あの霊が現れたのは自分とたまたま波長が合っただけなのだろうか?いずれにしても事故物件じゃないのであれば、ではあの女の霊は一体何なのか。
この部屋は事故物件だったと判明すればまだ腑に落ちたが、これでは逆に不気味さが増しただけである。
当然このまま住み続けられるわけもなく、広瀬さんは両親に事情を伝えてすぐさま部屋を退去し相部屋の学生寮へ移った。ちなみに期間満了前での退去であったが特別に違約金は発生しない旨を告げられたという。
それから夜中にあの女の霊を見ることはなくなり安堵したものの、どうもあのアパートの件が釈然としない。
本当に事故物件では無かったのか半信半疑の広瀬さんは独自に調べてみた。
結論から言えばやはりあのアパート、そしてその前にあったらしい駐車場で過去に物騒な事故や事件があったという記録は見つからなかった。が、調べていく過程で妙に気になる真偽不明の情報をネットで目にした。
あのアパートのある市内には以前、90年代半ば頃までスタジオとして利用されていた建物が存在しており、そのスタジオでは主にAVの撮影が行われていたらしい。
とはいえそのスタジオのあった具体的な場所までは出ていなかった。
だが同じ市内ということもあり、もしこの話が事実ならばアパートと同じ土地に昔はそのスタジオが建っていた可能性も0ではないのだ。
しかしそれ以上の情報がいくら探しても無い為、管理会社に問い合わせてみると駐車場になる以前は民家か社屋か不明だが何かしらの建築物があったようだが詳しくは資料がない為分からない、とのことだった。
つまりこれ以上の事が知りたければ地元の人に聞き込みをするか然るべき機関等で照会するしかないわけだが、もうそこまでの気力も無く、調べる事自体無意味に感じて広瀬さんの調査はそこで打ち切りとなった。
現在広瀬さんは社会人になり多忙な毎日を送っている。
「あの件以来一人暮らしがトラウマで今も実家から職場に通ってるんですよ」
そう言いながら広瀬さんは左腕のリストバンドを触った。
時々無性に自身の手首を切りつけたくなる原因不明の発作に襲われるといい、その衝動は抑えられないそうだ。処方された薬を服用しても今の所改善の兆しは見られないという。
傷跡を隠す為に長袖やリストバンドは必須となった。
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