1時間52分
投稿者:骸梟 (2)
コロッケに舌鼓を打ち、満足した様子で就寝前の挨拶を交わした私は、住職夫妻に見送られ本堂へと足を向ける。後方から聞こえる「ならね~」という奥さんの声に軽く手を上げ返しつつ登った先の本堂は、スマホのライトで照らされ妙な迫力があった。
本堂に電気は通っているものの、夜は基本的に利用することがないことから、奥まったお通夜用の個室・給湯室といった一部の部屋以外明かりがない。手持ちの行灯等は用意してあったが、今回は検証も兼ねている。雰囲気も大事だが、外国人ならスマホ辺りを使って対処するだろうし、それに倣って今夜は過ごすつもりだ。
「一晩よろしくお願いします。」
私を見下ろす観音様からの視線以外、返ってくるものはない。
ご本尊に手を合わせ終えた私は、写経の際は何台か机が置かれていた本堂のど真ん中もど真ん中に、頭が向くよう布団を敷き、静かに目を閉じる。普段夜中でも車の音が続く幹線道路沿いで生活しているため、シンと静寂が返ってくる本堂の中はとても心地良かった。
こうやって下界から隔絶した雰囲気の中にいられるだけでも、いい体験になるだろうな。そんな事を考えていれば、呼吸も穏やかなものとなる。畳とお香の香りが、夜の深まりに混じり始めた秋特有の冷気と合わさり、肺を満たしていく。うつらうつらと夢の中に引き込まれるのも、そう遅くはなかった。
…トイレ、行きたいな。
尿意を覚えた私がスマホを覗き見れば、時間は午前1時50分。
寝ぼけ眼を擦り、ぅんと背伸びをしながら、給湯室の隣にあるトイレに入る。小さな個室の便器に腰掛け、危なげなく間に合ったブツに一息ついていると、見慣れないモノが目の端でゴソゴソ動いていることに気付く。
便器のタンク側面に張り付く姿から、すわGか!と身構えるが、Gにしては動きがない。用を終えた私が裸電球の影になっている頭を退けると、何故かトンボが留まっていた。正確に言えばヤゴの身を脱ぎ捨て、青い体に見合った立派な羽を広げ始めている姿があった。
「何でまたこんな所に」とは思ったが、室内に知らない虫がいるのが田舎クオリティ。そんな事もあるだろうと、一応飛んでいけるように戸を開いたままにして、トイレを後にする。本堂に戻った私の目に、もっとおかしなものが飛び込んでくるとは知らずに。
…何だこれ?
いまいち状況を整理する言葉が思い付きそうにない。いや、本当にどうなっている?
今まで眠っていた敷布団はなく、本堂にあるべきご本尊もなく、何なら部屋の間取りも変わっていた。
およそ2倍は横に広がった畳張りの和室には、不規則に座布団が投げ捨てられていた。加えて滅茶苦茶に破壊された仏壇が散らばっており、見える限りではおおよそ3基分。
というか、何で奥まで見えてるんだ?
そう思い原因を確認しようとすれば、本来ならご本尊がある付近に暖色の照明が灯り、部屋全体を薄ぼんやり視認できる程度に照らしているのだ。ある種幻想的にも思える光景に、どうしたものかと立ち竦むのも仕方のない話だろう。
───こういう怪異にこそ住職じゃないか。
一周まわって根本的な解決法に行き着いた脳内CPUがようやく動き始め、玄関に手をかける…が、内鍵を何度上下してもびくともしない。庭に出る窓、裏手の勝手口も同様であった。スマホも…駄目だな圏外になってる。
下手に動き回ると危険?
しかし逆に言えば、それ以外何も手立てがないのだから、何でもやってみるべきじゃないか。
部屋の様子を観察すべくズカズカと壇上まであがる。灯りの細部を確認したり、仏壇の木片に位牌なり混ざっていないか、とにかくヒントになるものを手当たり次第漁った。
何もない。なーんにもない。
私にこれをどうしろと?
「お兄さん、ヤバいのに目をつけられたね。」
聞き覚えのない声に思わず真横を振り向けば、転がっていた座布団に胡座をかく少年がいた。
スマホのライトを向けそうになるが、目が眩んでしまうのを気にした私は、咄嗟に足元に角度をずらす。藍染の甚平から覗く裸足のサイズは小さい。大きさからして、中学生に届いているようには見えない。
目の前で繰り広げられていた出来事に、脳のリソースの大半を割かれていた私は、本来ならあり得ないだろう来訪者を違和感なく受け入れてしまった。
「ヤバいのって?」
私の疑問に答えるように、少年が畳の間の一部を指差す。確認できる仏壇の中で、比較的原型を保ち傾き倒れた向かい側。蝶番からちぎれ飛んだ障子を踏み付け、真上を向いて微動だにしない2m半はある人っぽい影が写る。
人だと言わないのは少年の反応もあるが、何よりあるべき上半身を全て大きな顔に食い潰されていたことが、人である事を大きく否定する。地面から天井へ、垂直に向いた顔面に合わせ頭頂部をこちらに覗かせている様子からも、その異様さが窺い知れた。
え、化け物?の前にその少年は何者だったんだ、、
失礼ですが最初のクリームシューで話が入ってきませんでした