1時間52分
投稿者:骸梟 (2)
「…確かにヤバいな。」
「でしょでしょ。でも、僕ならアレどうにかできるよ。お兄さんが手伝ってくれたらだけど。」
促してくる少年に視線を向けると、指を九字を切るように、人差し指と中指だけを伸ばす形(片手での刀印)にして、自身に倣うよう促す。
「少しだけかがんで」と指示されるまま、右手で構えた刀印ごと中腰に背を屈める。少年は一人で行う両手を使った刀印を、二人で作るように真正面から手を絡めてきた。
「簡単に説明するよ。お兄さんにはこれから、僕が言う言葉を繰り返してほしいんだ。繰り返さないと効果はないから、絶対に間違わないでね。」
「お経とか読めないけど、大丈夫そう?」
「大丈夫。短いし同じ言葉だけ、僕みたいな子供でもすぐ覚えられるやつさ。簡単なおまじないみたいなものだから。」
「間違えるな」と言われれば不安になるが、やってみるしかなさそうだ。少年のひんやりとした五指から、キュッと軽い力がかかる。
『るいしじょうことにぃ』
少年が唱える、聞いたことのない響き。
「ほら、唱えて!」と言わんばかりに少年が視線で訴える。声に気が付いたのか、上半身顔野郎の顔面がパキパキと私達のいる方向へ海老反る。私達を視界に捉えたまま、器用に下半身を回転させ、天井に向いていた下顎もゆるりゆるりと地面側に向こうとしていた。
『るいしじょうことにぃ』
少年が再度繰り返す。
顔面は完全に地面側を向き、重力の影響か顎先を畳に擦り付けながら、どんどんと彼我の距離をつめてきていた。
その様子に焦ったのか、空いた手で少年が私の袖を引っ張った…と思う。何でそんなに曖昧なのかと、この話を聞く誰もが訝しむかもしれない。ただどうもこの時は上の空だったというか、その呪文を唱える意味が分からなかったというか…
「なあ。1つ聞いていいか?」
「何!?後からいくらでも聞くから、早く唱え「必要ないだろ。」て?」
「お前、私が生きるのに邪魔だな。」
明らかに助けようとしていた少年相手であり、命の危機が迫る中で何故こんな喧嘩を売るような言葉が出たのか。今でも分からない。
しかし、私の質問ともとれない発言が明暗を分ける事となる。急に押し黙った少年は口をパクパクと動かし説得を続けるか悩んだ挙げ句、観念したように手を離す。同時に、今の今まで迫っていたであろう顔の化物は忽然と姿を消し、部屋も元の本堂にいつの間にやら戻っていた。
「何だ…もうお手つきだったの?それならそうと先に言ってよ~」
ボフンと音がするくらい勢いをつけ敷布団に倒れ込んだ少年は、駄々をこねる幼子のようで年相応に見えた。
「ま、いいや。その言葉あげるから、好きに使いなよ。」
掛け布団を体に巻き付け暫く左右にあ~だのう~だの呻き声を漏らし転がっていたが、やがて静かになる。
コロリとめくりあげた布団の中には何もおらず、代わりに微かな温もりだけが残っていた。
現実に帰ってきたのか?
私の疑問に答えられるのは私しかいない。唯一客観性を示すスマホの時刻は、午前3時42分を指していた。
住職には、夜間に起きた事をなるべくぼかして伝えることにした。特に少年のくれた言葉は教えていないが、不審者が出る可能性を加味すれば、それだけでお釣りがくる。
流石に宿泊は、家の方でやってくれているものだと信じたい。
呪文なのか祝詞なのかは不明なまま。
しかし、あの夜の私の脳内では『累屍躡子と贄』とか、割とろくでもない言葉で変換され聞こえていたのも、少年と共に唱えなかった一因かもしれない。
そもそも正面にいる少年が、刀印を作るのに左手を差し出して完成させていたのがおかしな話だしな。
え、化け物?の前にその少年は何者だったんだ、、
失礼ですが最初のクリームシューで話が入ってきませんでした