おれは宅配の仕事をしている。
いや、厳密に言うと「していた」…。
その日も数件目の荷物片手に慣れた足取りでマンションのエレベーターへ。
ジリジリと煽る夏の暑さのせいか人の気配は無い。
取り囲むように騒ぎ立てるセミの声だけがどこまでも追尾するかのよう。
目的のフロア。
もう何度も行き来している慣れた建物。
エレベーターを降りて少し小走りに直進し、目前の角を左に曲がれば静まり返ったドアが立ち並ぶ。
目当てのドアまで後少しというタイミングで、いきなり目の前のドアが乱雑に音を立てて開いた。
「あ、すいま…っ…。」
飛び出してきた男にぶつかりそうになり思わず詫びの声をかけた。
…が、それは最後まで言葉として届かなかった。
俯き加減の男は派手な模様がプリントされた白いTシャツにベージュのカーゴパンツ。
一瞬目が合った気がしたが急いでるのか脇を荒々しく走り抜けていった。
流行りの香水のような残り香がフッと鼻を掠めたのを覚えている。
…いや、待て。
あれは血だ。間違いない。
派手な模様に見えたのは激しい返り血の痕だ。
さっき香水の『ような』と思った匂いの違和感はそれだ。
清々しい香水の香に混じり嫌悪を抱く何かを感じたのは、無意識の危機感や防衛本能だったのかも。
気付けば停車中のトラックに戻っていた。
頭の中でさっきの情景がまるでリピート再生のように何度も何度も蘇る。一瞬目があった男の顔。
警察には電話した。
それから数日、数週間は生きた心地がしなかった。
何か報復されるのか、おれも殺されるのか。
そういうのはドラマや映画の中の話で、考えすぎなのか?
何をしてても何処で誰と会っても不安が付き纏う。
でもそれも数カ月経つといつしか過去の話へと薄れていった。
※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。