畜生道の娘
投稿者:LAMY (11)
人面犬という都市伝説がある。
80年代末に全国の小中学生の間で幅広く語られた噂話であり、一説によると子供たちの間での噂の広がりの実像を調査するため人為的に流されたものとも言われる。
読んで字の如く人面の犬という怪異が登場する内容であり、この手の都市伝説の例に漏れず、猛スピードで走り追い越された車は事故を起こすだとか、出会うと不幸になるだとかの不吉な尾鰭にも事欠かない。
しかし現代ではもっぱら口裂け女やトイレの花子さん、夜中に走る二宮金次郎像などと同様に、80年代〜90年代の都市伝説ブームの産物……強い言い方をすれば”古臭い”怪談という扱いを受けている。
少なくとも余程の怖がりでもない限り、この令和に人面犬を本気で恐れている人間にはまずお目にかかれまい。。
だが私は、幽霊の類は信じないが人面犬が怖い――より正確には、”人の顔をした犬”が怖いという人に会ったことがある。
以下は、I県某所に在住する加奈さんという女性から聞かせていただいた体験談だ。
加奈さんが小学六年生の頃、クラスメイトの繭子ちゃんが亡くなった。
新年度が始まってすぐに病気で入院し、それから三ヶ月としない内のことだった。
繭子ちゃんはクラスの中心とまでは行かないものの元気印の子で、体育の授業や休み時間の遊びには率先して前のめりに取り組むタイプだった。
そのため生来内気な性格である加奈さんはこれと言って深く関わる事はなかったのだが、やはりこれまで同じ学び舎で学んだ同級生の死は衝撃的で、お葬式では声が枯れるほど泣いたのを覚えているという。
とはいえ子供というのは酷薄な生き物で、半月も経つ頃には元々大して仲良くもなかった級友の死はすっかり心の片隅に追いやられていた。
そんなある日のことだ。
当時加奈さんは塾に通っていて、遅い時は帰りの時間が午後七時を回ることもしばしばだった。
彼女の両親は昔気質の人で、娘を迎えに行くために車を出したりしてくれるタイプではなかったため、帰りの遅くなる日も加奈さんは一人徒歩で家まで帰っていたそうだ。
その日は、ひどく霧の濃い日であったという。
空気もどこかじっとりと湿っていて、ただ歩いているだけでなんとなく気持ちが悪い。
夜道を一人で歩くのは子供ながらに慣れていたものの、流石にいつもより足早に家路を急いでいた。
――おぁん、おぁぁん
そんな時である。不意にどこかから犬の鳴き声が聞こえてきて、加奈さんは足を止めた。
加奈さんは大の犬好きである。霧の立ち込める不気味な夜に対する不安も、その声を聞くなり瞬時に犬を愛でたい欲望の前に敗北した。
どこだろう。声の高さ的に、子犬か小型犬だろうか。
野良犬か散歩中の飼い犬かわからないけど、あわよくば撫でたい。触りたい。
そう考えながら道を曲がって、声のした方向に歩いていく。
――おぁん、おぁぁん、くぅぅぅ
すると程なくして、また鳴き声が聞こえてきた。今度はさっきよりも近い気がする。
どうやらこの先にいるらしい。好奇心に急き立てられるように、加奈さんは小走りで路地裏に入った。
若干の違和感を感じながらもその正体には気付けないまま足を動かした。
街灯はなく、真っ暗な道が続いている。
やがて少し開けた場所に出て、そこに佇む小さな影を見つけた。
それは確かに犬の形をしていた。シルエットを見る限り子犬ほどの大きさで、毛並みは黒い。黒柴だろうか、と加奈さんは思った。
首輪をしている様子はないので、どこかの家から逃げ出してしまったのかもしれない。
心配な気持ち半分、犬を愛でたい気持ち半分で駆け寄っていくと、犬が加奈さんの方に振り向いた。
人面犬の話かと思ったら、それ以上だった
授業中だったから全く授業に集中できてなかったwそれだけ文才がありゾッとする話やったんやなって
「動物に人間の言葉をアフレコする」手の演出を見るたびにこの話を思い出す呪いにかかってしまった
面白いです!
ありふれ過ぎてて怖さの欠片も感じなくなってしまっていた古典的都市伝説を
見事に怪談としてリブートした作品。
六道の畜生道に結び付けた解釈、想像の余地を残して敢えて消化不良感を残した締め方、文章全体から滲む「人間の子供ではどうしようもない」やるせない無力感。
短い物語の中にしっかりと恐怖のエッセンスが凝縮されてると感じました!
怖すぎる
この話本当好き