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妖怪・風習・伝奇

壁々さんによる妖怪・風習・伝奇にまつわる怖い話の投稿です

ある吹雪く山の中で
長編 2025/03/09 15:17 811view
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 なぁマスター、初対面のあんたに話すような話じゃないんだが、ちょっと一つ聞いて欲しい話があるんだ。なに、重っくるしい話じゃないさ。ただ、どうしても話したいんだ。この欲求を抱えながらもう二年ほど経ってしまってね。どうしても堪えきれんのだよ。だけれど、身近な人もいないしね。ああ、死別したとかじゃない。自分からそうしたんだ。だから、悪いね。少し聞いちゃくれないか。神妙な顔にならなくてもいいんだ。知らぬ男のよくわからぬ与太話だと思って聞いてくれ。
 あれは二年前の冬の話なんだが、僕は登山が趣味、というよりは嗜む程度だったけれどね。まあ、山の空気が好きな人間だったんだ。その日は少し気合を入れて、高い山にでも登ろうかと思ってたんだ。それで、少し遠出して山形の支峰山に行くことにしたんだ。千八百メートルくらいの山だから、雪は積もってるだろうが、そんなに時間のかかることはないだろうと思って、1日過ごせるくらいの水と食料と、登山道具を持って朝早くから出発したんだ。だけど、その日、山に入ってからなんとなく嫌な気配がしてたんだ。マスターにもあるだろ?朝起きたら嫌な気分で、実際その日に少し不幸なことが起きるなんてことくらいさ。「虫の知らせ」っていうのかな。とにかく、その日は山に入った時からずっといやーな気配がしてたんだ。例えるなら誰かにじぃっと見つめられてるようなね。しかも、そいつは俺を見守ってるとか、観察してるとか、そんな生優しい視線じゃなくて、俺をよい|え《・》|さ《・》になるかを見定めているような、そういうしーんとした視線をずっと感じたんだ。そんなんだから、今日はもう登山早めにしてしまおうか、とも考えたんだけど、支峰山にくるまでに二時間近くかかってたし、何より、そんなよくわからないものがこの世にいるとは思いたくなかったんだ。あの山には熊もいないし、気のせいだろうと言い聞かせてずんずん登って行ったんだよ。
 登り始めて三時間くらい経った頃だった、吹雪いてきたんだよ。いや、支峰山が吹雪くことは何も珍しいことじゃない。だけど、その日の吹雪はどうにもおかしかったんっだ。ひゅうひゅうなる風の音に紛れて、どうにも声が聞こえてきている気がしてならなかったんだ。イヤーウォーマーもつけていたからそんなに大きく聞こえたわけじゃないんだけどね。だけれども、ひゅうひゅう、ぴゅーとなる吹雪の声と一緒に、あーう うーうっていううめき声が聞こえる気がしたんだ。子供の声か、女の声がわからなかったけど、少し甲高い声だった。最初は当然風の音だと思ったんだ。だけれど、そのうめき声は歩くほどにどんどんはっきりと、確実に聞こえてくるんだ。ひゅーうひゅーう あーう こーうぴゅう うーう っていう具合にね。幻聴だ、気のせいだと言い聞かせても、どうしても恐ろしくてたまらない。そうやって少しずつ、逃げるように山を登ったんだ。そしてふっと気づいたんだ。あの妙なうめき声に気を取られ、恐れて、少しずつ周りが見えなくなった僕は、いつのまにか真冬の山の中で登山路を外れてしまっていたんだ。
だけれどいいこともあった。いつのまにかあのうめき声は聞こえなくなっていたんだ。だけれどこのまま闇雲に進むと完全に遭難してしまうかもしれない。それで、元来た道を戻ろうとしたんだ。でも、元来た道を辿ろうにも吹雪のせいで猛スピードで僕の足跡は消えてしまっていて、数歩前の跡は実際、目の前で消えてしまっている途中だったんだ。僕はパニックになっちゃって、なんとかして戻ろうと必死に歩いているとさ、どうやらまた道を外れてしまったらしく、小さな洞窟が前に見えたんだ。吹雪もさらに強くなってきてしまったし、肝心の携帯も繋がらなかった。だから、僕は兎にも角にも、この洞窟で吹雪が止むか、落ち着くまで待とうと考えたんだ。
 洞窟はこぢんまりとした大きさで、少し進んだけれどすぐ行き止まりになっているような、一目で全体が見えるほどの大きさだった。入り口は縦に三メートル、横に二メートルほどの、入り口というより裂け目と言ったほうがよさそうな程の大きさだった。よくこんなに小さなものに出会えたものだ、あの声も聞こえないし、一旦落ち着こう。と、思って小さく暗い洞窟の中で、携帯と電池式のランプの灯りを頼りに、自分の準備不足に後悔しながら携帯食を齧ってたんだ。そしたらさ、聞こえてくるはずのないものが聞こえてきたんだ。いや、さっきのうめき声じゃない。もっと強烈で、何より恐ろしいものだったんだ。
 童謡だよ。「かごめかごめ」とか「めだかの学校」みたいなね。もっとも、その時に聞こえたものが、あの地域に伝わる童謡ってことは後から知ったことなんだけどね。今でもあの瞬間のことは鮮明に思い出せるよ。例の小さい裂け目から、か細い子供の声で、風の音を縫って聞こえてくるんだ。どの方向から聞こえてくるのか探ろうとしたけど、その歌は、ものすごい遠くから聞こえてくるような気も、裂け目のすぐ横から聞こえてくるような気もして、どうしてもわからなかった。僕は、どうしても恐ろしくなってしまってね。洞窟の角に行ってブルブル震えてたんだ。今でも、あの童謡の歌詞は思いだせるよ。

あの日に山で見たのはあの人か
あの吹雪の中にいたのはあの人か
白いあの人が呼びたり

隣にこいと呼びたり
こーう こーう ひゅーんひゅん
こーう こーう ひゅーんひゅん
逃げてはいけぬ 立ち向かってはいけず
去ぬるまで待たなくてはならず
山からあの人が降りてく
知らぬ人になりて降りてく
こーう こーう ひゅーんひゅん
こーう こーう ひゅーんひゅん

吹雪く日に山に行ってはいけず
目を感じせば降りねばならず
かれが山より降りてく
人にならむと降りてく
こーう こーう ひゅーんひゅん
こーう こーう ひゅーんひゅん

 こういう歌詞だったんだ。どんどん耳元に歌声は近づいてくるような気がして、僕は耐えられなくなったんだ。それでね、人間っていうのは極限まで追い詰められると精神がおかしくなってしまうらしい。僕はその声の主をとっちめてやろうと穴倉から飛び出てしまったんだ。それで、裂け目の外にいたのはなんだったと思う?頭のおかしな人間がいたわけじゃない。見たら腰を抜かすような化け物でもない。足のない幽霊がひゅーどろどろって脅かしてきたわけでもない。
 何も居なかったんだ。何も出てこなかったんだ。それでもあの童謡はずっと近くで聞こえている。周りを見て、探しまわって、歩き回って。そうしてやっと僕は気づいたんだ。最初に歌っていたやつはもういなくて…今あの君の悪い童謡を歌っているのは――僕だってことにね。ここで本当に僕は狂ってしまったんだ。雪の中を走って、走って、転んで、落ちて……気づいたら山の麓に転がってたんだ。大きな怪我もなければ、特になくなったものもなかった。唯一増えたものは、あの童謡の歌詞の記憶だけだ。
 でもね、それからずっとおかしいんだ。周りの人間が無性に意味のないものに見えて仕方なくなるんだ。金も、物も、家も、家族も、友人も、全部捨ててしまった。あの日に、あの山で、あの童謡を聞いた時からずっとだ。このビールも味がしないんだよ。何を食べても幸福になれない。どれだけ寝ても疲れは取れない。それなのに、心だけはずっと冷静だ。雪のようにね。きっと、本当の僕は今もあの吹雪く雪山の中を彷徨っているんだよ。だから僕はずっと自分のことを自分のように感じられなくなってしまったんだ。 なあ、だとしたら、今ここにいる僕は誰なんだろうね?
 男はそこまでいうと金を置いて出て行ってしまった。彼の座っていた椅子は、ぐっしょりと濡れていた。まるで、雪がずっと乗っていたかのように。
 

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コメント(1)
  • あの歌の途中までの正体は?

    2025/03/09/18:00

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