雪乃が事故に遭ったと連絡を受けた時、俺は世界が何か薄暗いものに浸食されていくような、悪夢の中に引きずり込まれるような、そんな感覚に囚われた。
よく覚えている。春先の、雲一つない晴れた日だった。
信号無視の車が横断歩道を渡っていた雪乃に突っ込んできた、と聞いた。目撃者の中には、車はまるで雪乃を狙っていたように見えたという人もいたが、真相はわからない。
犯人はすぐに逮捕された。事故当時の記憶が曖昧で、心神喪失の疑いもあるらしいが、今はそんなことどうでもいい。
雪乃を、雪乃と幸せに過ごすはずだった二人の未来を、ただただ返してほしい。それだけだ。
「雪乃、川原の桜がつぼみを付け始めたよ」
反応はない。無機質な機械音だけが、病室に響く。
眠り続ける雪乃を見つめていると、彼女が元気だったころの思い出がよみがえる。
大学のサークルで初めて出会い、勇気を出して声をかけたこと
真夏の帰り道に二人で星を見たこと
新婚旅行で行った海辺の町
クリスマスに一緒に飲んだ暖かいココア
何もかもが、遠い過去のように思えた。あの穏やかな日々はもう二度と帰ってこない。
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「ねえ、きいてる?葉介君」
「え?ああきいてるよ。僕はミルクも砂糖も入れる派。美咲さんはブラックだよね」
「うん」
「これから行きたいところとかある?もし良ければさ、美咲さんと一緒に行きたいところがあるんだけど、いいかな」
「どこ?」
「海がすっごく綺麗に見えるところがあるんだ。ここから車で1時間くらいなんだけど」
「ふーん」
「そこの近くにおしゃれなイタリア料理屋さんがあるから、夜はそこで食べようよ」
「ほんと?うれしい」
「今日は、夜まで大丈夫なんだよね?」
「うん」
「じゃあ、行こうか!」
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「……また、あの夢か」
雪乃が事故に遭ってから、周期的に見るようになった夢。
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