大切なもの
投稿者:遺品整理士 (2)
《持ち主の元へ帰ってくる指輪。捨てたつもりが引き出しの中に入っていた。人にあげたらいつの間にかカバンの中に。といった具合に不思議と手元に戻ってくる指輪。呪いや霊障といった害は無く、ただ持ち主の元へ帰ってくる。みえる人には、指輪に取り憑いている女性の姿が見える》
お坊さんはニコニコしながら、そんな説明をしてくれた。
「あんた、気に入られたみたいだね」
なおも微笑みながらお坊さんが言う。
冗談じゃない、坊主、あんた笑ってる場合じゃないよ!気に入られたって怖いよ!と私が文句を言う前に、お坊さんは指輪にまつわる昔話を始めた。
《ある親子の物語。父親のいない家庭の話。母1人、子1人で貧乏ながらも慎ましく暮らしていた親子。
神社の縁日の日に、子供は少ないお小遣いを使って母に贈り物をした。屋台で売っていた安物の指輪。宝石ではなく、ちょっとだけ綺麗な石がはめ込まれた指輪。
母は子供からのプレゼントをとても喜んだ。他の家の子供が射的や金魚すくいにお金を使う中、遊びたいのを我慢してお土産を買ってきてくれたことが母には嬉しかった。
子供は母よりも先に死んだ。母は子供の早死にを嘆き、毎日指輪に語りかけた。
「帰ってきて」「どこに行ったの」と毎日語りかける。
やがて孤独の中で母は死んだ。
後に残ったのは思い出の指輪だけ。この世に残った、親子が生きた人生の証》
「だから、この指輪に取り憑いている母親は、自分の子供を探してるだけだよ。悪さはしない」
しんみりとお坊さんが話を締めた。
私の手元に指輪が戻ってくるのは、その母親の子供と私の顔つきがそっくりだから。他人の空似だけど、子供の面影を私の顔に重ねているらしい。だから、私は新たな「持ち主」として認知された。そうお坊さんは説明した。
「まあ、あれだ。この指輪は供養しておくよ。無駄だと思うけどね。子供を探す親の念てのは、簡単に成仏しないものだよ。それほど真剣なんだ。子供を必ず見つけるという未練が、この世に、この指輪に母親を縛りつけている。子供はとっくにあの世に行ったってのに」
なるほど救われない話だ。
あの世に行けば親子一緒になれるはずなのに、母親は指輪から離れられない。子を失った未練が母親の成仏を妨げる。
「まあ、供養できなくても許してくれや。本当の母親だと思ってさ、指輪の幽霊に孝行してやってほしいよ」
お坊さんが無責任な事を言う。確かにその母親は可愛そうな人だが、私が取り憑かれるのは違う気がする。
供養、必ず成功してくださいよ、その母親のためにも、と私はお坊さんに伝える。
「ちなみに美人だぞ、この指輪に取り憑いてる母親ってのは」
え?
美人?
それは生前の話ですか?とお坊さんに聞く。
「生前の姿なんて、わしが知るわけないだろ。もちろん今、ぼんやりと見えてる母親の姿だよ」
それはおかしい。
髪が長くて?
「そうそう、髪が長い姿だな」
鼻がなくて?
「鼻?鼻はある」
獣みたいな目で?
「いや、普通の人間の目だが……」
阿修羅像みたいに顔が三面あって?
「は?待て待て、何の話をしている?」
私が見た阿修羅像みたいな異形の女と、お坊さんに見えている美人の女。明らかに別人だ。霊は姿を変えるのかとお坊さんに問う。霊の姿は変わらない。変わるとしても何百年という長い時を経て姿が変わる、とお坊さんは答える。
では、私が見た異形の女は?
指輪の母親とは別人?
それからが大騒ぎだった。事情を説明した所、お坊さんは私以上にパニックに陥ってしまった。悪霊か、狐狸畜生の類かなどと大いに取り乱した後、どこかへ電話をかけた。車でどこかのお堂?へ連れて行かれ、護摩行のようなことが始まった。燃え盛る火の周りに坊主数人が並び、大音量で読経をあげる。除霊をされている間、私はただあっけにとられていた。
後から聞いた話では、人の霊は人の形、動物霊は動物の形をとる。ただし、力の強い霊ほど本来の姿からかけ離れた形をとるそうだ。
例えば角の生えた姿。あるいは体の部位が増えた姿。
しかし、顔が増えた霊なんて聞いたことはないと坊主共は口をそろえて言う。
「多面の顔を持つなんて、それこそ神さまか仏様か。考えるだけでもおぞましい」
ある坊主が言っていた言葉が今でも耳に残っている。その霊が本物の神や仏というわけではなく、形だけ神仏に近付いた悪霊なのだとか。
大げさな除霊をした結果、私にはその阿修羅像みたいな女の本体は取り憑いていなかったらしい。全く、人騒がせな坊主たちである。もちろん、私の身を案じて読経してくれたことには感謝している。
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