あるアパートのこと
投稿者:くま (10)
これは、若い頃、ほんの数か月だけ住んでいたことのあるアパートで体験したことです。
当時わたしは根なし草のような生活をしており、アルバイトをしては辞めたり、派遣社員をしては二か月の契約期間で辞めたりと、なかなか人生が定まらない状態でした。二十代後半くらいだったと思います。
知り合いはもう結婚したり、子供を持ったり、あるいは独身であっても恋人に恵まれ、仕事先ではそれなりの役職についたりして、社会で立場を作っている人が多かったです。
そんな中、わたしのような者はなにかと肩身が狭く、自然、交友関係も遠のき、一人でいることが増えました。
アルバイトの休みの日なども、ひっそりアパートの部屋に籠り、時間が過ぎるのを待つようにして過ごしていたものです。
そのアパートに引っ越したのは、秋ごろだったと思います。
前に住んでいたアパートがあまりにも老朽化したため、壊されることになりました。住んでいる人も、あの時点でわたしともう一人くらいでした。
申し訳ないが出て行って欲しいと頼まれていたのですが、尻の重たいわたしはなかなか次の住居を探さずにいたのです。はっと気づいた時は、もう日にちに余裕がなくて、慌てて空いている物件を探しました。
お金もないし、移動手段も限られていたので、果たして良い物件が見つかるかどうか不安でした。
万一、適当な住居が見つからなかったら、不仲になって遠のいたままになっている実家の親に頭を下げ、少しの間、寝泊まりをさせてもらわねばならないと思いました。正直、それは嫌だったので、こちらも必死になって物件を探したのです。
不動産屋に通いましたがなかなか適当なものはありません。
ネットなども見たのですが、どうしてもお高い物件ばかりです。ちなみにそれは、県庁所在地でした。
もう立ち退きまでほんの数日という時、その物件に出会いました。
毎朝、バイトに行く前にネットで物件漁りをするのですが、流石に毎日見ていると同じものばかりです。しかしその朝、ぱっと出てきたその物件は真新しいものでした。
敷金も礼金も不要で、おまけに月に2万ほどの物件です。よほどの酷い部屋かと思ったらそうではなく、和室一間、洋室一間、ダイニングキッチン、そしてちゃんと分離したバスルームとトイレがあります。
日当たりも良さそうな二階の部屋でした。
見間違いかと思い何度も確かめましたが、たしかにその価格でした。どきどきしながら不動産屋に電話をかけましたら「あ、その部屋ですか」と、妙にしぶるような調子です。
「ええ、確かに良い物件です。××ホームさんが建てたアパートですし、しっかりしています。ですがねえ」
電話に出たおばさんは、ちょっと濁すような様子でした。
「ええまあ、一度見て見られますか。その時にいろいろとお話もありますし。それから決められたらいかがです」
即日入居可の物件ですし、こんな良い条件の部屋ですから、放っておいたらすぐに決まってしまうと思いました。
それで、その日、バイトがひけたらすぐに不動産屋の立ち合いのもと、その部屋を見に行ったのです。なにからなにまで良い部屋で、人目で気に入りました。一体なんでこんなに良い物件がこれほどまでの安価なのかいぶかしく思いました。
「あっ、そうですか。決められますか」
と、立ち合いに来てくれたおばさんは一瞬笑ったのですが、わたしをまじまじと見ると、「実はですね」と話を切りだしました。
「こんなこと、お話したのが本社にばれたらまずいので、ここだけの話にしてくださいね。このお話をさせていただくのは、わたしなりの誠意で、みなさんに内緒でお教えしているんです。これを聞かれてからお決めになってはいかがでしょう」
おばさんが語ったことを要約すると、十数年、一人で暮らしていた中年の女性が、この部屋で亡くなったそうです。それは今から三年前のことでした。
その後、何度か住人の出入りがありました。
自殺でもなく事故死でもありませんが、女性が孤独死した当時、警察の出入りはあったようです。
「気にされないというのでしたら、どうぞ」
と、おばさんは言い、じっとわたしを見つめました。
「直前の住人の方は、どういう事情で出て行かれたんです」
少し気になったので聞いてみると、特に変な事情ではなく、単身赴任のサラリーマンだったので、仕事の都合で出て行ったのだということでした。
ちゃんと仕事が見つかって安心しました。
二年も、よく頑張りましたね。