バイトで集落行ったら奇妙な体験をした
投稿者:我望 (3)
大学二年の夏休み後期、俺は友人のAとBの三人でサークルの先輩から持ち掛けられたバイトを引き受けた。
先輩の話では、なんでも排他的な集落について研究しているらしく、今回題材にする集落の生活環境を調査してほしいとの依頼だった。
民俗学専攻の先輩は、その村々が排他的であればあるほど研究意欲が沸き立つらしく、今回目を付けた村はグーグルアースで位置を特定したらしい。
その村の様子を見てくるだけで日給12,000円。
現地に赴いて集落の生活環境を調査。出来れば村長とか、管理者に話を訊いたり資料なんかあれば日給に色を付けるとも言われた。
そんなおいしい話を無下にする訳にもいかず、俺達は二つ返事で首を縦に振った。
当日、俺達は先輩が運転する軽ワゴン車に乗り込むと、高速を通り他県の入り込んだ山間へと車を走らせる。
人の手が入った道路を過ぎれば、舗装もガードレールも無い、ただの山道を小石を跳ねながら進事になり、車内に居る俺達はその都度車体が大きく揺れて激しくケツを打ち付けては悶絶していた。
そうして到着したのは経年劣化の激しい吊り橋だった。
今にも鉄製のワイヤーが千切れそうだし、床材なんか色味が薄れて腐っている様にも見えたが、どうやら俺達はここを渡らなければならないと悟るや否や、お金の為だと恐怖心を抑え込む。
俺「先輩、ここ通るんですか?」
先輩「そんな心配すんなよ。人の出入りはあるみたいだし、意外と頑丈だろ?」
先輩は不安げに橋を睨む俺達に気を遣ったのか、自ら吊り橋に足を踏み入れると飛んだり跳ねたりして安全性を検証した。
だが、グラグラと揺れる吊り橋を見れば寧ろ逆効果に思えたが、ここでつまらない事故を起こしてもしょうがないので俺達は慌てて先輩を引き戻す。
期限は三日。
単に先輩の懐の限界が三日分の給料という理由に過ぎないが、三日で村人と交流し生活水準や仕事の有無、宗教や伝承なんか、変わった文化が分かれば尚押しと言った具合で、俺達三人は恐る恐る橋を渡った。
先輩は帰宅するが、三日後にここまで迎えに来てくれる。
一応電波は今も通るみたいだが、この先に立ち入った事は無いので万が一を考え、三日後にここで合流する流れになった。
もし合流出来なければ先輩が最悪警察に連絡してでも捜索に来ると半笑いで言っていたが、正直宛に出来る人ではなかったので、愛想笑いをしておいた。
たかだか山中の集落。
それに吊り橋から麓まで徒歩数時間も進めば小さな町がある。
こんな場所に入っただけで大袈裟な事態に陥るとは、この時到底考えもしなかったが、先輩が「本当に排他的な村はマジで危ないからな」と苦笑しながら肩を叩いてきた時はフラグを立てるなと思った。
俺達の荷物は一人につき簡易的なリュック一つだが、中には三日分の携帯食料や飲料水、寝袋や医療セットと言った、サバイバル用品などの充実した装備をしている。
これは、もし村で泊めてもらえなかった場合、これらの道具を使って橋の付近で野宿する為に備えたもので、実際、この先自分達がどうなるのか想像すれば楽しい反面不安な一面もあった。
吊り橋を超えて30分くらい山を登ると、土地が拓けた場所が見え始める。
獣道に近い踏み固められた土道を辿って藪や木々を掻い潜れば、そこには昭和レトロな家が何軒か立ち並ぶ集落があった。
A「はー、すげえな。マジで集落あるじゃん」
B「こっち見て見ろよ」
平成後期に生まれた俺達にとってはかなり新鮮な家づくりだった事から、俺もAもまるで資料館に訪れた感慨深さに圧倒されていれば、Bが「こっちこっち」と続け様に注意を向け、道端の隅を指差す。
村の入口付近、道の脇に草がボーボーに生えている一角があるんだが、そこに埋もれる様にして小さな地蔵が7体置かれていた。
几帳面に赤い前掛けが付けられているものもあれば、紐部分がくたびれていたのかだらりとずれているものもある。
しかし、中にはそんなものは些細な事だと言わんばかりに、顔が半分削げ落ちた地蔵もあり、その不気味さに息を呑んだ。
すげえ
めっちゃ読み応えありました
こういうのもっと読みたい
これ最高
描写がすごい
これほん怖とかの実写で見てみたいな
想像で吐き気がやばかった。怖かった。
漢字で書いた方が読みやすい言葉と、ひらがなで書いた方が読みやすい言葉がある。って文学者が言ってた。
本当に理解しているエンジニアは説明の時に専門用語を使わない。それと似ている