これは、わたしの地元からすぐの距離にある、田無(たなし)という場所に住む友人との出来事です。
といっても、今では田無という自治体は存在しません。かつての田無市は吸収合併され、現在は西東京市の一部となっています。
しかし、友人は昔ながらの呼び名に愛着を持っており、今でも自分の住むところは田無と呼ぶことがほとんどでした。
そんな友人と遊んだ、ある日の出来事です。
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その日は、彼の部屋でいつものようにゲームをしたり、漫画を読んだり、他愛もない話をしたり……そんなふうに、のんびりとした時間を過ごしていました。
そんな中、互いがオカルト好きな我々は、話の流れが自然とそういった話題へと移っていきます。
「何かさー、聞いたことないような怖い話とかあったりしない?」
刺激に餓えたわたしは、何気なくそう問いかけると、友人は少し考え込むような素振りを見せた後、にやりと笑いました。
「いい話があるよ。ちょうどここ、田無にまつわる怪談なんだけど」
そう前置きして、彼は田無に古くから伝わるという「こなきじい」という怪異について語りだしました。
***
その怪異は、夕焼けが空を赤く染める日にのみ現れるといいます。
人通りの少ない道の片隅に、ぽつんと立ち尽くす老人。
その姿は、普通の老人と変わらない程度の背丈ですが、全身がまるで墨を流したかのように黒く沈み込んでおり、目だけがぽつりと白く光り、うつろに揺れているといいます。
そして、その老人は、聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で、ぶつぶつと呟き続けています。
「水を……水を……」
ひたすら、そう繰り返しているのです。
道端に立ち尽くし、誰に向かうでもなく呟き続ける老人。
その姿に気がついて……例えば、「大丈夫ですか?」などと声をかけても、彼は何の反応も示さず、ただ呟き続けるのみ。
「水を……水を……」
そして、夕暮れが夜へと変わるころ、その老人の姿は闇に溶けるように消えてしまうのです。
問題はここからです。
彼に声をかけてしまった者は、翌日から身体が水を受け付けなくなるのだといいます。
どんなに喉が渇いても、どんなに水を飲もうとしても、口に含んだ瞬間に吐き出してしまう。
どれほど渇きを癒そうと試みても、身体が水を拒絶し続ける。
やがて唇はひび割れ、皮膚は干からび、全身の水分がじわじわと抜け落ちていくのです。
「水を……水を……」
最後には、呻きながらそう呟いて、やがて干からびた身体は、そのまま命を失ってしまうのだそうです。
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