三
「へぇ、割と普通の住宅街ね」
見代塚区域に入り暫(しばら)く歩いていたが、私には普通の住宅街にしか見えない。
「そうか?私には全体的に澱(よど)んで見える。」
「澱むって…どういう感じなの?」
「…海の深い所で、黒くぬらぬらとしたモノが蠢(うごめ)いてるような感じだ。ほら、こっちに曲がるぞ」
珠香に付いて行くと、一つの大きな荒屋(あばらや)が現れた。
「うわ、すご。結構大きいね」
「多分ここ、見代塚区域の丁度中央に位置するだろ。恐らくここが『旧見代塚屋敷』だな。希菜子、お前この屋敷どう見えてる」
「どうって…ボロボロの廃墟だよ」
「私には黒い靄(もや)が掛かって屋敷が見えない。」
そう言うと珠香は鞄から小さな瓢箪(ひょうたん)を取り出した。
「ペットボトルの水じゃないんだね」
「ここは、私が人生で見た中で一番強い。この水はお婆ちゃんから貰ってきた。」
珠香は手に水を少量出して、両手に滴(したた)らせた。そしてその手をまるで蝋燭(ろうそく)の灯りのように前に出して進んでゆく。
中は外と比べて何十倍も何百倍も寒く感じる。空間が寒い、というよりも冷たい何かが体に纏(まと)わりつくような、気持ちの悪い寒気。
「ねぇ珠香、どこに進んでるの?」
「そんなの決まってるだろ。『あれ』をやった部屋だ。」
ピンと来た。「凸撃!心霊事件の真相」で言っていた「箸捧」だ。珠香はその屋敷の廊下を進むに連れて顔を顰める。そして一番奥の和室の前で止まった。
「ここだ。」
その和室の襖は開け放たれており、ちゃぶ台の上に折れた箸、染みが着きガタガタに浮いている畳が見渡せる。その仄暗(ほのぐら)い和室で、過去に何かあったと言うのは見て十二分に感じた。
私は無意識に口から言葉が出ていた。
「この部屋、何があったの…?」
その時、あのニュースキャスターの言葉が頭の中で甦(よみがえ)った。
『遺体は眼球に箸が刺さっている状態で横たわっていた』
その和室には折れた箸が二本。厭(いや)な想像をしてしまい、胃液が喉を上がってくる感じがした。
「あんまり考えるな。取り込まれる。そろそろここから出るぞ」
「え…?ちょっと待って、何も判った事なんてn」
「私には充分この家の事が判った。だから行くぞ」
「えぇ…」
私達は踵(きびす)を返した。五分程歩いた所にある公園のベンチに腰掛けて、珠香が話しだした。
「あの家は想像を遥かに超えていた。特にあの和室、儀式中にとんでもない事になってたみたいだ。」
以下、珠香が和室で見たモノである。
黒い靄に包まれた屋敷を進む。氷のように冷たい何かが体に纏わりつく。これはこの屋敷に取り憑いた、沢山の霊魂のエネルギー的なモノだろう。
廊下を見るだけで頭痛がする。それでもゆっくりと奥の和室へと近づいた。
和室を見た瞬間、脳内に映像が流れ込む。それは、とても恐ろしいモノだった。
和室の中に夫婦と子供が一人、ちゃぶ台を囲んで座っている。恐らく、夫婦が見代塚家で子供が片ノ葉家なのだろう。まずは夫が包丁で手の平を軽く切って片方の箸に滴らせる。その次に妻が同じようにもう片方の箸へ血を滴らせる。夫が、漬物や味噌汁、白米の乗っているお盆を子供の前へ差し出し「その箸で食え」と命じる。だが、子供は身動きもしない。それ所か恐怖という感情すらも出さない。夫が「早く食え」と急かす。けれど子供はやはり食べようとしない。「良いから早く食えと言っているんだ!」そう夫が声を荒げた瞬間だ。子供は素早くシュッと箸の片方を握り、夫の左目に突き刺したのだ。
「あぁぁぁああああぁぁ」
夫は物凄い悲鳴を上げ、床に横たわる。妻は「きゃー!」と叫ぶ。子供はすっと立ち上がると、横たわる夫の目に刺さっている箸を抜く。と思ったら、何度も何度も夫の左目に箸を振り被る。
ぐちゃ、ぐちゃ、と嫌な音がする。と、ある時急に子供の手が止まる。そして箸を床に置くと、夫の左目に手を伸ばした。そして。
「ぶちっ」
子供は夫の左目の隙間に指を入れると、そのまま眼球を引っ張り出した。そしてそれを箸に刺して、ちゃぶ台の上にそっと置いた。妻は、恐怖で部屋の角で縮こまる。そんな妻へ、子供はもう一本の箸を持ってゆっくりと近づいた。

























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。