1. 浅井
最寄り駅からスクールバスに乗るか、歩くか。
その日の気分で決める。
今日は歩くことにした。
田んぼの間を抜けて、大学へ続く道に入る。
門をくぐると、なだらかな上り坂が続く。
いつ歩いても心地良い。
上りきった先に校舎がある。
広大な敷地が広がっている。
グラウンド、駐車場、中庭。
図書館、体育館。
食堂、コンビニ。
入学して2年。
この風景にも慣れた。
「ねえ」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、女の子が立っていた。
年は同じくらいに見える。
整った顔立ちで、どこか柔らかい雰囲気だった。
「1年生?」
そう聞かれて、少し笑う。
「いや、2年生だけど」
「そっか」
女の子は納得したように頷いた。
そのまま、当たり前みたいに隣に並ぶ。
甘い香りがふわっと鼻腔を抜ける。
「いつも歩いてくるの?」
と透き通った声で
「ほとんどバスだけど今日はたまたま」
初対面のはずなのに、妙に馴染む。
「中庭まで歩かない?」
「え?うん……いいけど」
「うん」
突然話しかけてきて、この子は何を言っているんだ。
でも、自然と受け入れていた。
「名前、聞いていい?」
俺がそう言うと、女の子は少しだけ考えてから言った。
「……直美」
ためらいなのか恥じらいなのか。
でも、そんな事はどっちでもよかった。
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昼休み、俺はいつもの3人と食堂にいた。
「で、その子とどうしたの?」
早川が身を乗り出してくる。
「いや、普通に話しただけだって」
「絶対連絡先聞いてねーだろお前」
「聞いてねえよ」
「もったいな」
俺だったらガンガン攻めるねと松原が笑う。
女の話になると茶化しながら根掘り葉掘り聞いてくる。
相変わらずの2人だ。
そんな中、遠藤だけは黙っていた。
「どうした?」
声をかけると、はっとして顔を上げる。
「ん?いや、なんでもない」
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「……その坂さ、夜通ったことある?」
タバコを吸うのは俺と遠藤だけだ。
食後にいつも2人で喫煙所に行く。
「夜?ないけど」
「そうか」
遠藤が紫煙を吐き出す。
「俺の知り合いがさ、会ったらしいんだよ。女に。あの坂で」
遠藤は少し視線を落とした。
「女って?」
「さっきおまえが話してた」
似てるんだよ特徴がと淡々と答える。
「それから、そいつ、音信不通なんだよ」
タバコを灰皿に押し付けながら真剣な眼差を俺に向ける。
「関わらない方がいい」
遠藤のその言葉はあまり耳から奥に入っていかなかった。
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その日の帰り、俺は当たり前のように歩いて帰った。
直美はまた坂の途中にいた。
「待ってた」
そう言って笑う。
自然と並んで歩く。
陽光に包まれた髪が反射する。
「ここ、静かでいいよね」
「田舎だしね」
「ううん、そういうことじゃなくて」
直美は前を見たまま言う。
「ちゃんと残ってる感じ」
何が、とは言わなかった。彼女の微笑む唇を見たらそんなことどうでもよかった。
「松原君って君の友達?」
「え、うん。知り合いなの?」
「ううん…そうなんだね」
不思議とそれ以上気にならなかった。
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翌朝、駅で早川と一緒になった。
「あれ、松原は?」
「あー、あいつ今日いなかったんだよね。寝坊じゃね?」
住んでいるアパートが同じ2人は毎朝だいたい一緒に来る。
「昼までに来なかったら電話するか。午後から必修だし」
と早川とバスに乗り込む。
俺は、少しだけ引っかかった。
昨日の遠藤から聞いた話を思い出したからだと思う。
午前中の講義が終わっても松原は来なかった。
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翌日、直美は黒髪を耳にかけながら、澄んだ瞳を俺に向けて
「昨日、人少なかったね」
「そう?」
「うん。前はもっといたよ」
前っていつだよ、とは言わなかった。
ただ彼女の隣にいるだけでよかった。
「ねぇ、昨日はバスだったの?」
「うん。連れと一緒だったからその流れでね」
「そっか」
直美の指が俺の服の袖をつかむ。
「今日は帰りも歩きだと思う」
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昼休み。
「松原ってさ」
ふと口にした瞬間、早川が首を傾げた。
「松原?誰?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「いや……」
言葉が続かない。
遠藤もきょとんとしている。
早川がそんなことよりと言う。
「そういえばこのキャンパスなくなるらしいな」
「え!?マジで?」
遠藤も初耳だったらしい。
「うん。ここ借地だから2年後には返さなきゃなんないんだって」
…そんな話初めて聞いた。
最後の卒業生になるのか。
直美って何年生だっけ。
一緒に卒業できるのかな。
「おい、聞いてんのか?」
「ん?うん。じゃあギリ俺らは卒業までこのキャンパスなんだな」
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「ねえ」
その日の帰り、沈みかけた夕日を背に直美が言った。
「君はいつもちゃんと見てくれるね」
「何を?」
「ここを」
足元を指さす。
何もない地面だった。
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騒音が増えた。
「うるさいな、最近」
俺が言うと、直美は少し嬉しそうに唇を動かす。
「もうすぐだからね」
「何が?」
「還すの」
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その日、俺はフェンスの前に立っていた。
校舎はなかった。
体育館も、図書館も、食堂も。
全部なくなっていた。
代わりに、掘り返された土と、重機。
むき出しの地面。形を残した中庭。
「工事、進んだな」
そう呟く。
直美はその先を見ていた。
大きく掘られた穴の底を。
「もうすぐ、みんな出てこれるね」
穏やかな声だった。
俺は頷いた。
「そうだな」
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ここは、静かでいい。
誰もいないし。
これからも、来ることはない。
























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