「でも、紀一郎君、」
「いいから出て行ってください。あなたと話すことは無いです」
余りの強硬な姿勢に叔母は観念したのか、そっとドアを閉めて、音もたてずに下に降りて行った。外では祖母のギャーギャーと騒ぐ声がまだ聞こえてくる。俺は脈打つ心臓の音を抑え込むように深く息を吸った。その日、またあの刑事が家にやってきたようだが、祖母が追い返したようだった。
〇
11月15日 午後11時半過ぎ
一週間後の夜。俺は県境のとある大学へと足を運んだ。次の狙いは、叔父が代表を勤めている研究室だった。一秒でも早く、あいつの家を燃やしてやりたいという気持ちで山々だったが、ここは逸話に則って少しずつ外堀を埋めていくことにした。無論、最後はあいつの胸を射抜いてやるつもりだ。大学と言っても活気があるのは平日の昼間だけで、深夜には人っ子一人いやしない。それに今日は休日で警備体制も甘くなっているはずだと踏んだ。監視カメラに写ってもすぐに身元が特定されないように、全身黒づくめの格好にフードを被り、首にネックウォーマーを身に着けて口元を隠した。案の定、大学は水を打ったように静まり返っていた。
事前に学校でコピーしてきた大学の構内図をポケットから取り出す。教師に見つかった時は肝が冷えるような心地がしたが、咄嗟に「高校受験をするにあったって、その先の大学受験のことを見据えて進学先を決めたい」と話したら、いともたやすくごまかすことができた。我ながら口が達者になってきたと思う。
地図に目をやり、改めて目標を確認する。この大学は理系学科と文系学科で南北に建物が分かれている。叔父の専門は歴史学。南棟の東側、三階のJ309があいつのオフィスだ。地図を仕舞い、俺は忍び足で南棟に向かった。叔父の研究室はネットで調べたら簡単に出てきた。大学の教授一覧から叔父の名前を探し、研究生募集のリンクをクリックするとそこに『見学は南棟三階J309へ!』とデカデカと掲載されていた。馬鹿な野郎だ。もっと自分の身を顧みた方がいい。まあ、俺にとってはこれ以上に無い好都合だったが。
南棟の入り口まで来て、俺は鍵が開いていないことに気が付いた。おかしい。3年前に起こった震災以来、俺の中学ではいつ何時災害が起きてもいいように、非常扉は常時解放されている。大学もそうではないのか。そう思って非常扉の窓をよく見ると、土休日祝日は閉鎖していますという張り紙がされていた。
「クソッ!」
俺はドアを思い切り蹴飛ばした。
「俺の邪魔しやがって!」
その言葉を叫んだとき、プツンと意識が途切れた。そして気づくと俺は、灰色の壁に囲まれた廊下に立っていた。同じような形をしたドアが整然と並んでいる。
「あれ・・・」
そこは南棟の中だった。目の前にJ309という札が張り付けられたドアがあった。ドアノブのところに『岩祭研』と書かれた木のネームプレートがひっかけられている。いつの間に俺は校内に入っていたんだ?
まあいい。とにかくこのドアに矢を放って、いち早くここを出よう。俺は弩を手に構えると、ギッという音を立てて弦を爪にひっかけた。あとは・・・引き金を引くだけだ。
シュバンッ!
またも見事に矢が放たれた。矢はネームプレートを貫通し、ドアに突き刺さっている。俺はライターを取り出して、じっくりと矢とネームプレートを燃やした。逸話通りの火矢ではないのが心残りだが、火事になると騒ぎが大きくなるのでここは我慢した。放火罪なんて下らない内容で、この計画を邪魔される方がよっぽど嫌だった。俺は周りに誰もいないのを確認して、静かに校舎から外へ出た。
両鍵なのに非常扉はなぜか開いていた。
〇
11月16日 午前7時19分
大学の一件は地元紙の地域面に小さく掲載されただけで、誰も話題にすらしなかった。だが、それでいい。俺はあいつを恐怖に陥れられさえすればあとはどうでもよかった。
あくる日の晩、またあの居間で祖母と叔父が話しているのが聞こえた。階段に隠れるようにして聴いていたのではっきりとは聞き取れなかったが「オヤジの言ってた・・・」「まさか火矢が・・・」とそんなワードが聞こえてきた気がした。計画は概ね順調のようだ。俺はしめしめと笑って自室に戻ろうとした。一瞬、その会話の中に若い女の声が混じっていたような気がした。叔父に娘なんていたかな。まあ、気のせいだろう。
そんなことより、次はいよいよあいつの家を燃やす時だ。実行にあたって、俺はちょっとした細工を施した。それは矢の中に火薬入れて、導火線に火をつけてから飛ばすというものだ。祖父が言っていた火箭の話が大きなヒントになった。今回の計画は祖父に助けられてばかりだ。きっと、俺のことを草葉の陰から見守ってくれているのだろう。俄然やる気が湧いた。火箭の作り方は図書館に行って調べた。火薬は蔵にあったが、湿気て使い物にならなかったので、駄菓子屋やホームセンターで爆竹を買った。ついでに花火も買ってそこから導火線を取り出した。何ともありがたいことに、うちの家の土地は気が遠くなるほど広大だ。市街地からもかなり離れているし、火矢の練習にはもってこいだった。それから数日、俺は学校から帰るとすぐに山へ行って火矢を飛ばした。何度も失敗したが、ようやく多少はいい塩梅に燃えるものが完成した。
「やったぞ!」
両腕をあげてそう叫んだところで、俺はへなへなとその場に座り込んだ。ここ数日、ろくに飯を食べていない。心なしか最近、ちょっと運動をしただけで息切れをするようになった。
「ここで負けてたまるか」
俺は勢いよく地面に手をついて立ち上がった。
だが、俺はそこでまたもや気を失った。いや正確には、記憶が抜け落ちているとでも言うべきだろうか。気づくと俺は自室のベッドで寝ていた。慌てて時計を確認する。時刻は夜の8時を回ったところだった。よかった。計画の時間まであと2時間もある。俺はホッと安堵して起き上がると、部屋の中をぐるっと見回した。ふと下を見ると、普段使っているスクールバッグが床に置かれている。中には三本の火箭と弩が一式そこに入っており、バッグの横には丁寧にも自転車の鍵まで用意されていた。
「自分でやったのか・・・?」
ダメだ。何も思い出せない。最近、こういうことが増えた気がする。とりあえず小腹が空いたので、俺は下に降りることにした。
























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