夜八時一七分。俺はとある団地に来ていた。目の前に全く同じ見た目をした建造物が何棟も続いている。恐らくは一九五〇年から一九六〇年代半ば、高度経済成長期に作られたものなのだろう。ボロボロに朽ち果てた看板には、案内用の地図とともに、まだ村だった頃の住所がその名残として記載されていた。虫の鳴き声に混じって何かの遠吠えのようなものも聞こえてくる。そこにかつての活気はどこにも残っていない。街灯の明かりが静かに道を照らしているが、それすらも何本か点滅して消えかかっていた。誰も住んでいないことは一目見てわかった。
「なあ。本当にこんなところ入るのかよ・・・」
俺の隣にいる少女はニヤリと笑って答えた。
「当たり前じゃない。行くわよ」
〇
さかのぼること数日前。高校生活初となる夏休みが始まって、まだ間もない頃。俺は何をしていたかというと勉強はもちろん、どこかへ遊びに出かけたりもせず、家の中でただひたすら心霊特集を視聴し続けていた。最近、近所にできたレンタルビデオ屋は店長の趣味なのか、新作のオカルトものがこれでもかというほどひしめき合っている。中でも『不知火プロダクション』という制作会社のものが多かったので、もしかすると店長の知り合いに関係者がいるのかもしれない。
とにかく、それを三度の飯よりオカルト好きのこの俺が放っておくはずもなく、開業したばかりでサービス特価だったビデオテープをカバンに詰め込んでは、家に持ち帰ってそれを見る。見終わって返却しては、また大量にレンタルして家に閉じこもる。という生活をかれこれ三日ほど続けていた。しかし、好きといえどもさすがに飽きてくる。そこで俺は『幽霊はどんな場所を好むのか』という何の功績にもならない自由研究を始めることにしたのだった。
最初は暇つぶしのつもりでやっていたのだが、これが案外面白い。山や海といったありきたりなものをはじめ、デパートやトイレ、駐車場、駅のホーム、トンネル、家の中。家の中といっても廊下や階段、風呂などバリエーションは豊富だ。ノートにそれぞれの項目を書き出し、心霊映像が流されるたびに『正』の字を書いてカウントしていく。そこでふと、俺はおかしなことに気がついた。それは自由研究を始めてからちょうど四日目のことだった。ある場所にだけ、桁外れに幽霊が出没している。
それは『Y団地』だ。
視聴したビデオテープは計六十二本。そこには、テレビで放送されたものから制作会社独自のものまで、千個以上の心霊映像が収められていた。それなのに、Y団地で撮影された映像は、そのうちの二百個以上を占めていたのだ。最初はどんな頭文字が付けられているかなんて気にもしていなかったので、実態はもっと多いのかもしれない。高校生でまだ学のない俺でさえ、これがあまりにも多すぎるということは瞬時にしてわかった。
何か良くないことが起ころうとしている―――――
そう感じた俺はあるところへ電話をかけることにした。こんな時、頼りになるのはあいつしかいない。一定の間隔で鳴るベルが何度目かにしてブツッと途切れる。女子高生にというにはあまりにも落ち着すぎたあの声が、受話器の向こうから聞こえてきた。
「もしもーし」
いつもよりどこか気だるげな声色に、俺はなぜか安堵する。
「よう、深山だけど」
「あ、なんだ深山君。悪いけど今取り込み中。また後でにしてくれるかしら」
早くも切られそうになるのを必死に止める。
「いや待て待て! Y団地、Y団地って知ってるか!」
受話器越しに彼女のまとう空気が変わるのを感じた。
「深山君、あなた何か知っているの」
「ああ、最近心霊ビデオってやつを見ているんだが、このY団地ってのがめちゃくちゃ出てくる」
そう言い終えた俺に、ミコは淡々と語り始めた。
Y団地は俺たちの住む姫野から、電車で三十分ほど北へ行った『山代町』という場所にある。Y団地の頭文字は山代から取られたものだ。ミコもつい数日前に、Y団地の心霊映像が異常な数出回っていることに気が付いたようだ。俺はちょうど、その確認作業をしている最中に電話をかけてしまったらしい。申し訳ないことをした。
「とりあえず、今からY団地の映像を全部見返して何が出てきたか、どんなことが起こったか全部記録しといて。終わったら神社までよろしく!」
ミコは早口でそうまくし立てると俺の返事も待たずに電話を切ってしまった。家で長時間テレビを見続けることに慣れていないのだろう。少々いらだっていたように思う。


























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