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妖怪・風習・伝奇

蓮音さんによる妖怪・風習・伝奇にまつわる怖い話の投稿です

父の遺言
長編 2025/11/28 22:05 1,993view

 高校に入ってから、通学手段が電車に替わった。これまで通学の時間はペダルを漕ぐことに奔走していたので、このヒマな時間に何をするのが正解なのかもわからず、いつもただぼんやりと外を眺めていた。あれはいつだったか、窓にガリガリ君の広告が貼ってあった気がするので、確か夏だったんじゃないかと思う。でもなぜだか、そんなに暑かったという記憶はない。冷夏なんてここ最近聞きもしないから、きっと列車の冷房が良く効いてただけのことなんだろう。

 右から左へと、景色はゆっくり流れていく。暗闇の中、山の稜線が薄っすら浮んでいるのを横目に、ポツポツと家々の窓から明かりが灯っているのが見えた。疎水を渡る大きな橋を通り過ぎると、モーターを唸らせて列車が少しずつ減速する。もうすぐ私の最寄り駅だ。降りる準備をしようと足元のリュックサックを持ち上げ、ドアに向き合った。まさにその時だった。

 踏切で列車の通過を待つ人々の中に、一本のカカシが立っていたのだ。

 ボロボロの麦帽子に破れかけのワイシャツ、顔の部分は真っ白な布地の球体に見えた。停車寸前のことだったので、五秒くらいのことだっただろうか。見間違いではなかったと思う。よく田畑で見かけるあのカカシが、踏切に面した商店街の道のど真ん中に突き刺さってこちらを向いていた。
 だが、それ以上に異様だったのは、カカシの周りで踏切を待つ人間の方だ。
 
 誰もがみな、口角をいびつに吊り上げ、ニヤニヤと笑っていた。それは自然と笑みがこぼれたというよりも、笑わなければならないという強迫観念に駆られているような、そんな笑い方だった。図らずとも、過ぎ去る踏切の方へと首が向いてしまう。それと同時に嫌な悪寒が背筋を走る。思わず振り返ってしまったことを、私は今でも後悔している。

 車内にいる全員が瞬きひとつせず、私のことを凝視していたのだ。
―――――踏切の人達と同じ、あの気味の悪い笑みを浮かべて。

 私はそらおそろしいものを感じて、ドアが開くと身を投げ出すようにしてプラットホームに飛び降りた。発車を知らせるサイン音がけたたましくホームに鳴り響く。先ほどまであの引きつったような笑みを浮かべていた乗客たちは、何事もなかったかのように私の横を通り過ぎていった。誰も私のことなど気にも留めていない様だった。電車は早々とドアを閉めると、ガタンゴトンと重い音を立てて、下りホームを去っていった。呆然と立ち尽くす私をよそに、プラットホームは再び静寂に包まれた。

それから、あのカカシを見かけることはなかった。

          〇

―――――その年の冬
高校にも馴染み始めて、私にも帰り道を共にする友人ができた。名を渚という。短めのボブがトレードマークで、歩くたびにその短い髪がホワホワと左右に揺れる。渚は隣のクラスの生徒なのだが、同じ委員会で当番の日がよく重なったことからしだいに話す機会が増え、帰りの電車が同じだったということもあり、仲良くなるまでにそう時間はかからなかった。その日も委員会の仕事を終えて、寒空の下、二人で帰路についた。風はそこまで強くなかったが、突き刺さるような冷気が町中に充満していた。口を開くのも憚られる中、渚がポツリと呟いた。

「そういえば今度、うちの近くでお祭りするみたいなんだよね」
「お祭り? なんだか季節外れだね」そう笑って答えると、渚は少し顔をゆがめた。
「そうなんだよねー。でも昔からあるお祭りみたいだから、みんなやめるにやめられないのよ」

 今年は祭りの幹事がうちに決まって、冬休みはその手伝いに自分も駆り出されるのだと渚は唇を尖らせた。そのいじけた横顔を愛らしく感じるとともに、家や地域の繋がりというやつに悩める渚が少しうらやましかった。

 私の家は、母子家庭だ。父は私が三歳のころに失踪した。記憶はあまり残っていない。玄関においてある家族写真とたった一冊の本だけが、私たちに残された唯一の父の痕跡だった。本の表紙には、父の名前が書かれていた。なんでも、この本がヒットすれば高値になるからとサインのつもりで書いたらしい。学術書がヒットなんてするはずもないのに。

 母は父の失踪について何か知っているみたいだが、私には決して話してくれなかった。母の苦労を思うと、無闇に詮索するのは不躾な感じがして、それに詮索しないのが孝行だと信じて、ついぞ長い間、父のことは知らずに生きてきた。そんな母が父について初めて口を開いたのは、私が中学に上がったときのことだ。

「あなたのお父さんはね、民俗学を研究してたのよ」

 母は懐かしそうにそう語った。確か失踪宣言とかいうやつをした後のことだったから、母の中で何らか整理がついたのだろうと思う。そして父が最期、足繁く通っていたというこの地に引っ越してみないかと提案してきたのだ。母はもしかしたら、私が学校であまりうまくやれていなかったことに気付いていたのかもしれない。私は心の奥底にザラりとしたものを感じながらも、その申し出を受け入れた。

「なにボーっとしてんの」
 渚が私の顔を覗き込むようにして腰をかがめている。

「ちょっとね、考えごと」
 わざとらしいかな、なんて思いつつ、私は自分でもわかるくらいの作り笑いを浮かべた。辺りはすっかり暗かったから、渚には気づかれていなかったと思う。

「でもそういうのって、正直うらやましいよ」
 何の気なしに発した言葉に、渚が呆れた顔をして、やれやれとでも言わんばかりの仕草でこう答えた。

「そりゃ、隣の芝はなんとやらってやつだよ、和葉」
 身長が低いのもあいまって、着ぶくれした渚はなんだか丸っこい。その上、ふざけてオーバーなリアクションをするのでその動きがどこか滑稽に思えた。
 
 思えば、渚とそんな風にして、他愛もない会話を交わしたのは、あの日が最後だったかもしれない。

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