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不思議体験

どこかで見た話さんによる不思議体験にまつわる怖い話の投稿です

縁切り峠
短編 2025/10/12 21:04 1,869view

山深い集落の石畳が濡れて、瓦屋根に夕暮れの朱が滲むころ、私は故郷へ帰った。
本家の長男として生まれたが、町の暮らしは重く、大学のまま家に戻る気にはなれなかった。
それでも、祖母の訃報に、私は約十年ぶりにその土地を踏んだ。

実家の縁側に座りながら、祖母の口癖が甦る。

「八月二十三日の晩は、障子を開けたらいかんよ」

理由を問えば、祖母は笑って言ったものだ。
「そういうもんじゃ」。そういうもん――その言葉が、幼かった私の心にもどこかしみこんでいた。

その年の夏、葬儀が済んだ夜、父がぽつりと言う。

「今夜は、“あれ”が通る日じゃ。お前も覚えとれよ」

私は子供の頃の言いつけを思い出し、そっと天を仰いだ。

家中の明かりを消し、スマホもテレビも音を立てぬようにして、仏間に集まる。
扉も窓も閉ざされた間に、ひたとした静寂があった。

時計の針が二十二時を越え、そして──

遠くの山裾より、かすかに、しかし確かに――
「カラン、コロン……」
下駄のような音が、石畳を確かに踏む。

ひとつ、またひとつ。音の間には、何者かの息遣いが聞えてきそうだ。
私は立ち上がる寸前だったが、父がそっと私の腕を掴んだ。その力は重く、無言だった。

耳を澄ませていると、その音は障子のすぐ向こうで止まる。
私は――見るまいと思った。

父の無言が、言葉よりも重かった。
音はまた歩き出し、遠ざかる。
「過ぎたな……」父が呟いた声が、胸に響いた。

翌朝、川の畔で暮らす独り暮らしの老女の死が伝えられた。
「見たのだろう」と、誰も言わず、皆が目を伏せた。

私は、仏間の床の間に置かれた桐箱を見つけた。
朱色で、たった一字――「縁切」――と書いてある。

父は説明した。

「むかしの習わしじゃ。縁切峠に縁を断ちたい相手の名を書き、埋める。
その晩、“あれ”が通ると、その人の縁が切れるという。
姿を連れて行くのか、名前だけかはわからんが、大抵、その年のうちに村から“消えて”しもうた」

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