「…俺の従兄弟も?」
「そうじゃ。気が弱くて、長男の役目を背負わされてたあいつ……あの年の夏のことじゃ」
幼き日、遊んだ従兄弟の顔がふと浮かぶ。
町の親戚に預けた、という大人たちの説明は嘘じゃなかったのかもしれないが、私の胸にはずっと齟齬があった。
その夜、私は恐る恐る桐箱を開けた。
中の和紙には、震える墨筆で訴えられた願いが記されていた。
「長男の縁を切ってください」
「家から解放してください」
「**を連れて行ってください」
声を出して読めない。思わず目眩がした。
それらは誰の念なのか、従兄弟自身のものなのか。
誰かが誰かを、あるいは自らを縁切峠に捧げたのか。
そんな思いが胸を締め付けたまま、翌年、私は東京のアパートでまた八月二十三日を迎えた。
不可解な衝動に駆られ、電気を消しカーテンを閉め、深夜までじっと潜んでいた。
午前零時を過ぎ、湯に浸かろうとした時、スマホが震える。
知らない番号の留守電だ。
再生すると、断片的に低い声が響く。
「ふっ…ふふ…ふ……」
あの晩の障子越しの笑い声と同じ調子が、部屋の中を漂っていた。
私は息を晒せぬほど怯え、震える指でスマホを握る。
**「縁切」**という書付け。
その言葉は、峠の名と、通り過ぎた何者かを呼び起こす。
私はもう、“故郷”の縁すら切られてしまっていたのかもしれない。
あるいは、自ら“縁を切る主”であったのかもしれない。
けれど今、私はわかる。
人と人の縁を断つということは、
「存在そのものを断たれる」ことだと。
八月二十三日。
あの晩を経てもなお、生きている私は、
――やはり、縁切峠を渡ってしまったのかもしれない。























※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。