令和7年(2025年)8月15日。
今年は終戦から80年目を迎える節目の年でもあります。
我々日本人がけっして忘れてはならないあの戦争の事を、
今回は「心霊」という観点からも振り返ってみようと思います。
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昭和17年(1942年)8月21日。
この日の旭川は8月だというのに昼間でも24.9℃しかない過ごしやすい気温で、
夜半頃には半袖では肌寒く感じる人もいたのではないでしょうか。
そんな真夏の肌寒さを感じている人物が、ここにも一人おりました。
彼は第28連隊重機関銃中隊所属の兵長で、この日は衛兵勤務のために軍の宿舎の営門に立ち、歩哨を勤めておりました。
終電も過ぎ、道行く人も途絶え、あたりは真っ暗でし~んと静まり返っています。
深夜0時近くも周り、もうこんな時間に何があるわけでもなく、兵長は早く交代時間にならないかと、そんなことばかり考えていました。
ところが、そんな兵長の耳におかしな音が聞こえ始めます。
暗闇の奥から、ザッザッザッザ・・・と、明らかに部隊が行軍する軍靴(ぐんか)の音がするのです。耳を澄ますと、足音はどんどんこちらの兵舎へ向かってきているようでした。
(これは150人ほどの中隊規模の部隊に違いない)兵長はそう直感します。
「夜間演習に出た部隊があるとは聞いていないが・・・」不審には思いましたが、部隊が営門に近づいているのは確かなようです。
「部隊接近! 部隊接近!! 衛兵整列ー!!」兵長は大きな声で衛兵所に叫びました。
規律の厳しい陸軍のことです。将校以上が指揮する部隊が営門を通過する際は、衛兵が整列して送迎しなければならない決まりがありました。もしも敬礼に不備があったり、服装に乱れがあったりしたら・・・当時の事ですから、上官からの鉄拳制裁があったかもしれません。
驚いたのは衛兵所に待機していた7人の衛兵たちです。まさかこんな深夜に部隊の帰投があるなど、隊長の司令軍曹以下誰も聞いておらず、慌てて飛び出し整列します。
「いったい何事だ・・・」そう思った衛兵もおりましたが、その疑問はすぐに晴れました。
歩兵部隊が近づく足音が聞こえたのです。またこの時、兵長は信じられないものを見ます。
「あ、あれは・・・軍旗!!」
暗闇の中から現れたその歩兵部隊の先頭に、軍旗が見えたのです。
軍旗、あるいは連隊旗とも呼ばれるその旗は、天皇陛下より部隊に下賜(かし)された神聖なもので、戦場で汚れたからと言っておいそれと替えの利くものではありません。したがって、戦場を駆け巡った歴戦の部隊の軍旗ほどボロボロになっていきます。
兵長が目撃したその軍旗はほとんど飾りの房だけになったボロボロのもので、まさしく歴戦の精鋭部隊、第7師団第28連隊の、さらにそこから選び抜かれた一木(いちき)支隊が、出撃の時に持ち出したものでした。
「軍旗入門ーーー!! 軍旗入門ーーー!!」兵長は再び大声で叫びます。
なぜならば、軍旗が帰ってくるときには当直の司令将校が出迎えねばならない決まりがあったからです。ですがそんな様子もなく、兵舎は静まり返っています。
兵長は「捧げ銃(ささげつつ)」の敬礼をしながら、軍旗の傍らにいるはずの一木大佐に向けて大きな声で報告します。
「表門、立哨服務中、異常ナシ!!」






















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