あれは小学5年生、1999年の初冬だった。
父が単身赴任していた他県へ近々家族で引っ越すことが決まり、残された時間を特に仲の良かった友人Mと思いっきり遊んで過ごしていた。
当時、俺達はとあるニュータウンに住んでいた。
綺麗に整理された広大な住宅街がある一方で、枠外に出れば古くからの小集落も隣り合っているような地域だった。
俺達は住宅街の端、切り開かれた山の一番上あたりに家があるご近所さんで、自然と仲良くなった。
お互いマウンテンバイクを買い与えられてからは行動範囲が広がりカブトムシやザリガニがよくいる場所、山柿、あけび、枇杷等が食べれる場所など独自マップを拡大させつつ、各地に秘密基地を設けたり大いに楽しんだ記憶がある。
ただし親からは危ないから行かないよう言われている場所があった。
住宅街の上の端から山の反対側へ抜ける道があるんだが、蛇行する下り坂で木が茂り、暗く歩道もないため単純に交通事故の心配から禁止されていた。
しかしその道を下った先にはとても大きなダムがあり、たまに車に乗って通る際には遊び場の宝庫のように見えていた。
これまでの遊びにマンネリを感じていた俺達は、新マップを解放したい意欲にかられ、夏休み中はダム探索に夢中になっていた。
もちろん親には黙っていた。
浅瀬で水遊びをし、亀や魚を捕まえ、不法投棄されたゴミをあさり、エロ本を見つけた時には二人で興味津々に読んでいたものだ。
季節が変わり上着を着始めた頃、流石にダムに行くことはなくなっていたのだが、Mが突然どうしても行きたいと言い出した。
どうにも降水量が足りなかったのか、人為的な水位調整の結果か分からないが、ダムの水位が著しく下がっていて殆ど底の方まで見えているとのことだった。
Mが父親から聞いた話では、1900年代半ばまでは元々集落があってダム建設後そのまま沈められたらしく、今ならその痕跡が見れるかもしれないとのことだった。
結論、Mの父親にお願いして渋々車でダム周りを走ってもらったが、集落の跡は何も無かった。
ダムはY字で二本の川から水が流れ込む形となっており、Y字の股には小高い山があって車で探索している間は常に視界に入っていた。
この山の名前は特徴もなく忘れてしまったが、遥か昔は奇妙山と呼ばれており、そこから訛って現在の名前になったとMの父親が話してくれたのは覚えている。
山の昔の名前を聞いてからオカルト方面への期待が膨らみ、慰霊碑や山の中にぽつんと建つ鳥居を見つけては喜んでいた。
しかし目的である集落跡は見つからず、噂なんてそんなもんだと諦め帰っている時だった。
あと五分十分も走れば住宅街へ向かう山道へ到着するといところでMがダム底を見ながら叫んだ。
大興奮のMにつられて視線を下げると、水位が下がったことで露出したダム底に巨岩をくり抜いたような荒削りのトンネルが露出しているのが見えた。
これがMの好奇心にさらに火をつけてしまった。
「夏休みにやれんかった肝試しを今やりたい」
家に帰りMの親の目がなくなった途端、興奮した様子で言い出した。
もちろん俺は理性的に断った。
ただでさえ交通面で危ない道を自転車で進み、人通りの全くない脇道をいき、ダムに降りて普段は水没している岩肌むき出しのトンネルをくぐるなんて少し考えれば危険だとわかる。
しかしMは俺たちなら絶対大丈夫だと引かない。
Mは数日前の11月11日に誕生日を迎えた。
昭和最後の63年生まれの俺達は、平成11年に11歳になった。
つまりMは、
平成11年11月11日に11歳になった俺は特別だ!
と、子供特有の万能感に下手な根拠らしきものが合わさり、物語の主人公にでもなったかのように自分は死なないと確信していた。
こわ~~~~~
投稿主さん
奇妙山→現在の知明山かな
もしあってたら奇妙山神教間歩で調べてみて。東大寺のお守りは最高のチョイスだったかもね