「まぁ、こういう商売なんでね。お客さんは大切にしないと…っていうのはわかるんすけどね…」
これはインディーズのロックバンドとして○○県を中心に活動しているY氏から聞いた話だ。
彼のバンドは決まったライブハウスでライブをすることが多い。そこのオーナーとY氏のバンドのメンバーが親しく、何かと気にかけてくれているからだという。
ただ、Y氏はそこのライブハウスが苦手だった。バンドでは基本的にステージでの立ち位置が決まっているという。彼はいつも舞台の上手(かみて)側でギターを弾いているのだが、彼の正面、客席下手(しもて)側の後ろの方に毎回目がいくとのことだ。
「最初は毎回来てくれるお客さんだと思っていました…でもおかしいんですよ」
客席下手側の1番後ろには出入口があり、そのお客さんはいつもそこに立っているのだという。
狭いライブハウスだから後ろのお客さんの顔までよく見える。
「こんなこと言ったら怒られるかな。なんというかハコが狭いから…後ろのお客さんの顔までわかるんです。でもそのお客さんはね…顔がないんです。何度観ても顔がない。髪はあるんです。ロングヘアだから多分…女の人なのかなって勝手に思ってます」
つまり、口や目といった顔のパーツがないというのだ。照明のせいでは?と聞いたがその人の隣にいる人の顔はしっかり認識できるらしい。
「それで、もうひとつおかしい事があって。その人いつもずぶ濡れなんですよ。雨に打たれながら来ました、みたいな…それで流石に目立つじゃないですか?だからメンバーにも聞いたんです」
あるライブの直前、Y氏はバンドのボーカルであるF氏に例の場所にずぶ濡れで顔のパーツのない女が居ないか見て欲しいと頼んだそうだ。
「Fは怪訝そうな顔をしましたよ。彼には本気でメンタル面で心配されましたね。それでね。彼もライブ中に見てくれたらしいんです。例の場所に変わった人は居ないっていうんですよ。ちなみに僕はその日のライブでもその人が見えてました」
つまり、Y氏にしか顔のないずぶ濡れの女は見えていないということだった。
私はそのライブハウスに行かせてくれないか彼にお願いした。
「はは、ここまで言っておいて申し訳ないんですけど、そのライブハウス潰れちゃって」
Y氏によれば例のライブハウスは2年前に経営難から閉店したのだという。
「それでね、閉店する三日前くらいだったかな。最後にそこのオーナーと話したんです。いつも出入口に濡れた女が居ませんかって。そしたらしばらく黙ってから教えてくれたんです」
数年前、そのライブハウスを拠点にしていた、とあるバンドがあったのだという。そのバンドのある熱狂的な女性ファンが、ある大雨の日にライブへ向かう途中で交通事故に遭い帰らぬ人となってしまったらしい。
「それでね、その女の人はいつも客席下手側の出入口の前で見てたんですって。それと彼女が推していたメンバーと僕がそっくりらしくて…まぁ今ではもう見えることは無くなったんで解決した話なんですけどね。あっ…この話、投稿してもいいですけど、場所や人名は伏せてくださいね。それと今日はご馳走様でした。また奢ってください」
Y氏はこれからライブがあるので…といい、席を立ち上がる。彼が立ち上がったその後ろにずぶ濡れの長い髪が一瞬見えたような気がした。























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