マンションを購入して、もうじきひと月が経とうというとある日の夜、インターホンが鳴った。
22時。こんな時間に?と思いながら、大輔さんは受話器を取り少し訝しながら画面を見た。
「ハイ?」
「下の者だけど!!!」
お爺さんが怒鳴り声で感情を露わにしていた。
受話器を少し離す。
「どうされました?」
「朝昼晩大きな声でお経をあげるな!うるさいだろ!」
「え?お経なんて」
「とにかくやめてくれ!」
弁明する時間を一瞬も与えてもらえぬまま、お爺さんは帰っていった。もちろん、お経などあげていない。理不尽な言いがかりに
「ヤバい人が居るな」
と残念な気持ちになったが、わざわざ追いかけていく気にはならなかった。
それから2日経った日。ポストを開けると、管理組合から「騒音によるクレーム」というお便りが届いていた。全くと言っていいほど身に覚えのないクレームに、2日前の新鮮な出来事を思い出し管理組合へ感情的に抗議の連絡をした。
「ピンポーン」
夜、またインターホンが鳴る。次は本人に向かって言い返してやろうと意気込み受話器を取った。
すると、あの時とは違う穏やかな声が聞こえてきた。
「夜分遅くにすみません。あの、下の者なんですがうちの人が来たとお聞きしまして」
あのお爺さんの奥さんだろう。お宅の旦那さんが来てこんなことをと伝えると、ある事実を聞かされた。
「末期の癌で歩けないのでずっと寝たきりなんです」
歩くどころか話しもしたのだ。そんなことがあるものかとインターホンの録画を見せると、奥さんは口を手で押さえて固まってしまった。
それから1週間ほどして、お爺さんが亡くなったと知らされた。あの夜に来たお爺さんは本当にお爺さん本人だったのだろうか。本人だったとして、お爺さんが聞いていたお経とはなんだったのか。
本人亡き今、確認をすることはできない。
インターホンの録画履歴は残っているが、見返す勇気はないそうだ。
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