深夜一時を回った頃だろうか。一人暮らしの部屋に、控えめなノック音が響いた。こんな時間に誰だろう? 寝ぼけ眼を擦りながら、僕は重い体を引きずり起こした。
ドアスコープを覗いても、誰もいない。いたずらか? いや、そんな安易なものではない気がした。背筋がぞっとするような、まとわりつく静けさが漂っている。気のせいだと打ち消そうとした時、再び、コンコン、と先ほどより僅かに強いノック音が鼓膜を叩いた。
今度は無視できなかった。喉の奥がカラカラに渇くのを感じながら、意を決してドアをゆっくりと開けた。しかし、そこにはやはり誰もいない。代わりに、冷たい床に小さなメモが落ちていた。震える手で拾い上げてみると、掠れた文字でこう綴られていた。
「あなたの背後にいる」
全身の血液が逆流したような悪寒が走った。脊髄反射のように振り返る。当然、そこには誰もいない。心臓が激しく鼓動し、嫌な汗が滲み出る。これは一体、何が起こっているのだ?
メモを強く握りしめ、部屋の隅々まで目を凝らした。開け放ったままのクローゼットの中、薄暗いベッドの下、風に揺れるカーテンの裏……どこを探しても、人の存在を示す微かな兆候すらない。安堵感よりも先に、底なし沼のような不安がじわりと全身を覆っていく。
重い足取りでベッドに戻り、震える手で電気スタンドのスイッチを入れた。毛布をまさぐり寄せ、必死に身を包む。もう何も起こらない。これはただの悪夢だ。そう何度も自分に言い聞かせようとした刹那、背後から絹糸のような、極めて微かな囁き声が聞こえたような気がした。
「ねえ……」
全身が石のように硬直した。恐怖で喉が締め付けられ、ゆっくりと振り返るという単純な動作すらできない。皮膚の下を無数の虫が這いずるような感覚が全身を駆け巡る。耳の奥で心臓の音がけたたましく響き渡る。
覚悟を決め、ゆっくり、本当にゆっくりと振り返った。
そこには、案の定、誰も……
「忘れてない?」
背後、本当にすぐそこで、確かに声が聞こえた。先ほどとは違い、今度はもっと近く、まるで耳元で囁かれているようだ。声は湿り気を帯び、ねっとりとしていて、底知れない悪意を含んでいるように感じた。
僕は振り返ったまま、全身が鉛のように重く、一寸たりとも動けなかった。この声の主を、その姿を、見なければならない。そう思った瞬間、氷のように冷たい何かが首筋に這い上がってきた。
そして、意識は唐突に途絶えた。まるで、何かに頭を強く打ち付けられたかのように。
この話はフィクションです























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