奇々怪々 お知らせ

ヒトコワ

嘘つき怪談児さんによるヒトコワにまつわる怖い話の投稿です

踊る虫
長編 2026/03/10 02:23 45view

目覚まし時計を止めて、大きく伸びをする。朝5時とはいえ、真夏なので、外は明るくなり始めている。私は、ピチャピチャと頬を叩いて眠気を飛ばし、服を着替える。
 昨日は雨降りで、山には入れなかったが、今日はできるだけ早く入って、様々な虫を観察したい。できれば、動画投稿サイトで見た、あの奇妙な蜘蛛を実際に見てみたい。細長い糸のようなものが生えて、ふらふらと揺れていた。そして、蜘蛛らしくない動きというか、いわば、歩くのが下手くそと言いたくなるような、不思議な動きをしていた。あんなものは今まで見たことがなかったが、その姿がなんともユーモラスでかわいらしく、ぜひとも、実際に見てみたいと思ったので、映像を調べて、撮られていたのは、どうやらこの辺りらしいと考えたのだ。
 昆虫研究という私の趣味からは少しずれているが、ひょっとすると新種かもしれないなどと考えると、なんとか実際に見てみたいとワクワクしてくる。
 泊まっている民宿の玄関で登山靴を履いていると、女将さんが声をかけてきた。
 「おはようございます。もうお出かけですか?」
 「あ、そうなんです。ちょっと、虫を探しに、山に入ろうと思いまして」
 私がそう返した途端、女将さんの表情が曇った。
 「あ……山に入るんですか……この時期は止しておかれた方が……」
 「え?どうしてですか?」
 今は7月の終わりだ。冬場なら、この地域のことだから、雪で身動きがとれなくなるといったこともあるかもしれないが、今なら、特に問題があるとは思えない。私の問いかけに、女将さんは困惑したようだ。

 「どうしても行かれるのなら、せめてマスクしていってください」
 え?マスク?なんで?どうして?という感情が表情に出ていたのだろう、女将さんはしどろもどろになってしまった。
 「あ、いえ……あ、ほら、インフルエンザとかコロナとか心配ですし」
 冬でもないし、どっちも今、流行してるとは思えないのだが……。しかし、私が口を挟む前に、女将さんは奥からマスクを持ってきた。個包装タイプのもので、一つは封を切って、すぐにしてくださいと言いながら押しつけてきた。仕方なくマスクを着けると、放送したままの方を押しつけてきて、もしそのマスクを落としたりしたときのために、予備のも持っていってくださいと言うので、仕方なく、封を切ってない方のマスクをポケットに入れた。そこまでしなくても、と思ったが、一応マスクの礼を言い、靴紐を縛りながら、朝食までには戻りますからと言った。努めて明るい声を出したが、女将さんは不安げな顔で、玄関を出るまで見送ってくれた。
 まあでも一人になってしまえば、こっちのものだ。私は、意気揚々と山に入った。山道を歩きながら、木々を見て回る。たまに樹液が染み出ているところもあるが、まったく、虫は見つからない。いい加減疲れてきた私は、木の根方にハンカチを広げて、ふぅ、と息をついた。ちょっと息苦しいので、マスクをずらして深呼吸した。何回か深呼吸をして、そのまま、ちょっとした森に入った。少し歩くと、カサカサ音がする。見てみると、カブトムシが樹の表面を歩いている。その、胸と腹の継ぎ目あたりから、ひょろりと細長い何かが生えている。動画で見た蜘蛛と同じような形だ。私は興奮して、そっと近づき、スマホのカメラを向けた。
 撮影しながらじっくり見ると、ひょろりと伸びた部位は何かの繊維質でできているようだ。さらに、頭部は粉を噴いたように見える。私は動画の撮影を止めて、そのカブトムシを手に取った。顔の前に近づけて、じっくり観察する。視認しにくいが、粉のように見えたのは、カブトムシの頭部にできた極小のブツブツであるようだ。
 ふいにバサバサッと音がして、樹上から何匹もの虫が落ちてきた。カブトムシに、クワガタもいる。いずれも、僕が掌にのせているカブトムシと同じように、繊維質の細長いものが生えている。それはキノコに似ている。そう感じたとき、ハッと気がついた。この虫たちは皆、人間で言えば頸部に当たる位置から、キノコが生えているのだ。どうして、思いつかなかったんだろう?タイワンアリタケというキノコは、蟻に寄生して、その筋肉組織に菌糸を巡らせて、行動を制御するところから、ゾンビ蟻キノコとも呼ばれているのではなかったか。
 しかし、寄生キノコは種類によって、寄生する対象が決まっているのではなかったか。タイワンアリタケはチクシトゲアリという蟻にしか寄生しないはずでは……。そう考えると、ここに集まってきた虫が新種なのではなく、このキノコが新種なのかもしれない。だとすれば、これは大発見かも。そう考えて、私はスマホをこの虫たちにむけて、写真や動画を撮りまくった。
 そうこうするうち、ふと、帰らなければ、と思い立った。今、何時くらいだろう?朝ご飯の時間までに、民宿に戻らないといけない。私はスマホをポケットに突っ込み、来た道を戻り始める。
 ……体が痛痒い。それも、表面ではなく、体の内側が痛痒いような、奇妙な感覚だ。気分が悪い。大きな石があるのが見えたので、いったん、それに腰かけて少し休憩しようと思った。そのために、私は立ち止ま……れない。泊まったつもりが、足が勝手に動いて、そのまま転倒してしまった。

(え……?)
 起き上がろうと思うのに、手足を動かすことができない。それだけではなく、勝手に動いている。私はよつんばいのまま、手足を動かして、前に進んでいる。手首も自分で向きを変えることができないので、手の甲で地面を押さえるような、奇妙な格好で歩いているようだ。当然、関節が痛い。筋肉も痛い。筋肉そのものが痛痒い。起き上がりたいが、体が自由にならない。自分がしたいようにはできず、勝手に動いている。
 目の前に、水溜まりがある。私は、というより、私の体はその手前で止まり、ぐいっと首を伸ばして、顔面を水につけるようにした。じゅるじゅると泥水を啜る。気持ち悪い。こんな汚い水は飲みたくない。だが、私の口は水を吸い上げ、喉は蠕動運動で、それを胃の中に流し込んでいる。気持ち悪い。そもそも、全身が痛痒い。筋肉の内側が痛痒い。
 さすがに、鈍い私でも理解できていた。寄生キノコに取り憑かれているのだ。おそらく、私の頸部あたりから、ひょろりと細長いキノコが生えているのだ。確認したい。でも、後ろを振り返ることができない。自分の意思で、自分の体を動かすことができない。痛い。
 そうか、女将さんは、こうなることが分かっていたのだ。寄生キノコの胞子を吸い込まないよう、マスクをするように言ってきたのだ。それなら、ここまで説明してほしかった。インフルエンザとかコロナとか、関係ないじゃん。そうした病気も厄介だが、このキノコの方がずっと厄介だ。
 寄生キノコに操られた私の体は、水を飲むのを止め、再び、前方に進み始めた。奇妙な四つん這いの格好で。予想はつく。このまま、人が住むところに行って、胞子を撒き散らすのだ。そのために、私の体は否応なく使われているのだ。
 整備された道のすぐ脇まで来て、私の体は、木に登り始めた。昆虫と違う、人間の体は、キノコにとっても使い勝手が悪いようで、どうにも動きが下手くそだ。たぶん、物を掴むという感覚が理解できていないのだろう。とにかく、体の節々が、内側が痛い。それでも、下手くそなりに、少しずつ、木に登っていった。少し葉陰になったところで、枝にしがみついて静止した。そうか、ここから胞子を撒き散らさせられるのだ。
 そのまま、何時間か経ったのではないだろうか。かなり長い時間、じっとしていた(させられていた)と思う。突然、私の首が動いた。視線の先に、白い四角い自動車が見えた。私の体がしがみついている木に向かって走ってくる。
 (ああ、来ないでくれ……ここは危険だ。私のようにならないでくれ……)
 祈るような気持ちで、その車を見ていた。私が見ているということは、寄生したキノコも見ているのだろう。私と視覚を共有しているに違いない。植物にとって、「見る」とはどういう感覚なのだろう?そんなことを考えたりしながら、私は姿勢を変えることすらできず、そのまま固まったようにじっとしていた。
 少し離れたところで、その自動車は停まり、わらわらと人が降りてきた。皆、コロナの頃みたいな感染防護服を着ている。その内の一人がライフルのようなものをこちらに向けた。あっ、と思った次の瞬間には、その筒先が光った。激しい痛みを感じ、私は気を失った。

1/3
コメント(0)

※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。

怖い話の人気キーワード

奇々怪々に投稿された怖い話の中から、特定のキーワードにまつわる怖い話をご覧いただけます。

気になるキーワードを探してお気に入りの怖い話を見つけてみてください。