路面電車の怪
投稿者:Nilgiri (3)
その日、私は部活の朝練に間に合うよう、いつもより早く起きて家を出ました。
普段、うちの部で朝練はしていないのですが、軽音部の大会が間近で、部員と特別練習を行おうと約束していたからです。1年生に経験者がいたので、今年の部員のレベルは高く、受賞も狙えるかもしれないということで、みんな気合が入っていました。
11月の夜明け前のまだ暗い道を歩いて、いつも乗る路面電車の駅へと向かいます。家を出た時から薄っすらと霧が出ていて肌寒い早朝だったものの、肌に感じる空気の冷たさはどことなく心地よく感じました。そのうち霧も晴れてくるだろうと思っていたのですが、意外にも進むにつれて徐々に霧は濃くなり、電車の乗り場にたどり着いたころには、駅名の看板の文字さえ読みづらいほど濃い霧が周囲に立ち込めていました。
この辺りで、これほど濃い霧が出るなんて珍しいなと思いました。少なくとも、私がこんなに濃い霧に遭遇したのは生まれて初めてだったからです。早朝の住宅街は、まだ車もほとんど通らず静かです。乗り場には私以外の誰もおらず、あたりは霧と静寂に包まれ、まるで誰もいない街に取り残されたような錯覚に陥るほどでした。
始発の電車を待っていましたが、これだけの霧が出ていると時間通りには来ないかもしれません。私は駅のベンチに座り、ぼんやりと周囲を眺めていました。
すぐ近くの交差点に目をやると、霧の中で信号の明かりが拡散されて、4つの信号機に囲まれた道路の真ん中がスポットライトに照らされているように浮かび上がっているのが幻想的で、私はしばらくその光景に見入っていました。それは時が止まっているような不思議な時間だったように思います。どのくらいそうしていたでしょうか?
ガタンゴトン、ガタンゴトン。レールを走る音が聞こえ、私は電車がやってくる右手に顔を向けました。霧の中に小さな明かりがともって、次第にその明かりが大きくなると、霧の合間から車体もわずかに見えてきました。ポケットからスマホを取り出して、時間を確認すると6時16分。ほぼ時刻表通りの定刻にやってきたようでした。
私は、カバンからICカードの定期券を取り出して、電車に乗る準備をしました。ところが、近づいてきた車両を見て私は一瞬戸惑いました。霧の中現れたその電車は、昔の映画や古い写真で見たような、いかにもレトロな外観の車両だったからです。初めて見る車両でしたが、私はふとあることを思い出しました。そういえば、先日夕方の地域ニュースで昔の車両を再現した観光用レトロ電車が近々お目見えする予定だ、という話題を聞いたことがあったのです。そうか、これがそのレトロ電車なのか、と感心した気持ちで眺めましたが、乗り口のドアが開いたので、じっくり眺める間もなく中へ乗りこみました。
乗車してすぐに、私はあることで困りました。ICカードをタッチするカードリーダーがないのです。いくらレトロ電車といっても、入口に機械がないなんておかしいと思い、電車の内部を見回すと、ようやく車内の異様な様子に気がつきました。
古びれた木造の床、薄汚れた赤い布地の座席、本物の革のようなつり革、車両の上の黄色い明かり。すべてが細部まで古臭く、再現なんてものじゃない本物のレトロ感を醸し出していました。そして何より一番怖いのが、数人乗っている乗客が全員昔の恰好をしていたのです。女性は着物に羽織。男性はケープのついたコートに帽子。私には、それらの服装に見覚えがありました。コートや帽子の名前は分かりませんが、本で見た大正とか昭和の頃の服装にそっくりだったからです。
いかにもレトロ電車にふさわしい服装ではありますが、車両のあまりにも本格的な様子と相まって、まるで本当にタイムトリップしてしまったかのような光景に圧倒されました。乗客は、おばあさんが一人、おじさんが一人、そして小さな女の子とそのお母さんの計4人で、全員が制服の上にユニクロのダウンジャケットを着ている私をじろじろと見つめています。自分だけが、この空間の中で明らかな異分子でした。
頭の中を様々な疑問が駆け巡ります。これは普通の電車ではなく、何か撮影かイベントのために用意された電車なのか?まさか、レトロ電車に乗れるのは、昔の服装をしている人だけとか?それにしても、レトロ再現を通り越してこれは本物すぎないだろうか?けれど、色々考えを巡らせる前に、すぐさま降りるべきでした。というのも、これほど古い車両にもかかわらず背後のドアは自動的にガタンと閉じてしまったからです。とても自動ドアのような見た目ではありませんでしたが。
ドアが閉まると電車はすぐさま動き出し、立ったままの私は、揺れに体勢を崩しそうになり思わず近くのつり革を握りました。そして目に入った木製の窓枠など、周囲を見れば見る程、レトロ風に作ったというよりも古い車両をそのまま持ってきたようにしかみえませんでした。車内は木造の香りがしましたが、新しい木の匂いではなく、床や座席の汚れ具合はヴィンテージ加工というよりも本物の経年劣化にしか見えないのです。
昔の車両をそのまま使っているのかな?それにしても、ICカードも使えない電車なんて今時不便すぎるんじゃないの?現金しか使えないとしたら、両替できるかな?不安は次々と噴き出してきて、誰かに尋ねたかったのですが、私を見つめる他の乗客の視線が不審そうで声をかけるのが気まずく、私は窓の外を向きました。外の景色は相変わらずの霧で、何もはっきりとは見えませんでしたが、次の瞬間、運転手の方のアナウンスに私は衝撃を受けました。
「次は福田病院前、次は福田病院前でございます。」
福田病院?聞いたことのない名前でした。私の乗車した駅の前にも後ろにも、そんな駅名はありません。どういうことだろう?と思って外の景色を見つめていると、霧の隙間から見覚えのない木造の建物が見えました。そして、え?と思う間もなく通り過ぎていきました。
おかしい。そんなはずはない。だってここは、まだ私がいつも乗り降りする駅のすぐ隣のはず。毎日通学で通る見慣れた道で、見たことのない建物があるなんておかしいのです。しかも、福田病院前なんて駅名、私の通学の途中で停まる駅はおろか、私が知る限り市内の駅名で聞き覚えがありませんでした。
混乱する私をよそに、しばらくして電車は、福田病院前という駅に停車しました。私は開いたドアから、外を覗き込んだのですが、目に入った景色を疑いました。そこには、霧の中に確かに白い2階建ての病院らしき建物があったのです。全く知らない病院でした。かたまった私の目の前でドアは閉まり、乗車する人も下車する人もいなかったのか、そのまま電車は発車しました。
きさらぎ駅の路面電車Verのようで、とてもおもしろかったです。仮に小銭を持ち合わせていたとしても、現代の硬貨とデザインが違っていたら、不可ですと言われかねませんね。そのおばあさんは本当に命の恩人でしたね。
おばあちゃん、、
本当の話なら凄い体験ですね。
終点まで行っていたら投稿も出来なかったかもしれないですね。
異世界だったのか、過去にタイムスリップしたのか、乗客の様子やお婆ちゃんの「私は終点まで行くしかないから」という台詞を聞く限り、あの世へ向かう電車だったのか。
色々な解釈が出来る不思議なお話でした。