イノシシ狩り
投稿者:あらや (4)
小学生の頃、父親が隣県に住む友達に「イノシシ鍋」を食べに来ないか、と言われて出かけた事があった。
父親は免許を持っていなかったので、一緒に行く友達が迎えに来て車で出かけた。
途中の道すがら「この道舗装されたんだな」と父親が言ったら、その友達が「しまった」と言う顔をした。
「この道じゃない道を聞いてきたのに、こっち来てしまった」と言って、どこかでUターンをしようとする。かなり焦ってるのが、小学生の自分にも分かったので、どうかしたの?と聞いてみた。
その時父親と友達に聞いた話。
父親と友達は大学時代も、誘ってくれた友達の家にイノシシ鍋を食べに行った事があった。
その時は誘ってくれた友達が最寄り駅まで出てきて、彼を乗せて道案内してもらいながら向かったらしい。
その途中で、今入ってしまった道を通ったのだが、ある場所でいきなり沢山の人が道を塞ぎ、車を取り囲み、身動き取れなくなったという。
老若男女入り混じり、手には鍬や鎌や刈り込み鋏、杵や長い棒、包丁を持った人もいた。
一番怖かったのは、猟銃を持った人がいた事だったそうだ。
運転していた友達がクラクションを鳴らそうとしたら、誘ってくれた友達が制して外に降り、彼らに何やら話しかけた。
すると彼らはすっと道を開けたと言う。
友達が「下を向いて、外を見ないように」と父親に言って、運転する友達もなるべく人を見ないようにしてそこを通り抜けたそうだ。
父親はその時まで忘れていたが運転手の友達は覚えていて、誘われた時に別の道がないか聞いたらしい。それで別の道が通ってるから、と教えてもらったのに、車内で話に花が咲いてるうちにうっかり間違えたんだそうだ。
引き返す道中、道端に数人人が立ってこっちを見ているな、と思ったら、父親に「◯◯ちゃん(自分)、外を見ないで下を向いてろ」と言われた。
しばらくすると車が止まって、助手席から手を伸ばした父親に座席と座席の間に押し込まれた。
運転手の友達が窓を開けて二言三言、丁寧な感じで喋っていて、どのくらい時間が経ったか、車は動き出した。
成長してから聞いたところによると、友達の家に向かう途中には、ほんの一握りだけ、言い掛かりをつけられて差別されてきた人たちがいて(被差別ではない)、外部の人間が自分たちの土地に入るのを嫌うんだそうだ。それで他県ナンバーが通ると、住民たちで取り囲んで、少しでも不味い対応をするとボコボコにするんだと。(最初の時にクラクションを鳴らしてたらやばかったらしい)
不思議なことにその土地は、市町村どころか字大字ですらない、字の中のほんの一部だそうだ。
父親たちが大学生だった頃は、友達の家に向かうにはどうしてもその土地を通る道を通らなくてはならなかったが、他の道が通って元の道は土地の住人だけが使っている、陸の孤島状態で、余所者は救急車も霊柩車も入れないことになってる、とのことだった。
友達の家はその土地の檀寺なので、最初の時は話をつける事ができたんだそうだ。
自分が父親に座席の間に押し込められた理由は、道端に立っていた人たちが後部座席を覗き込むようにしていたので、反射的に危険だ、と思ったかららしい。
車が止まったのは、鍬を車の前に差し出して通せんぼされたからで、運転手が通してもらおうと窓を開けたら「後ろに瓜坊を乗せてるだろう、持ち出し禁止だから置いていけ」みたいなことを言われたそうだ。
運転手の友達は、後部座席には誰もいないと言うこと、自分たちは※※寺(檀寺の名前)に行くところだから住職に確認してもらっていい、住職は自分の大切な仲間だ、と言うことを丁寧に説明した。すると誰かが電話確認したらしく、通してくれたそうだ。
自分は押し込められていたので知らなかったが、通してくれるまでの間、ずっと車の中を数人が覗き込んでいたらしい。友達の車は当時流行ってた薄いスモークフィルムを貼っていたので、バレなかったのではないか、とのこと。
父親と友達が誘ってくれた友達に確認したら、その土地の人たちが自分たちの土地に入り込んだ余所者を私刑(リンチ)するのは、昭和30年代までは黙殺されており、「イノシシ狩り」と言えば不問だったと言う。「瓜坊」とは「後部座席に子供がいるだろう、おいていけ」と言う意味だったと知って、父親は自分を連れてきたことを後悔したそうだ。
その友達の家に遊びに行ったのはそれが最後で、向こうが遊びにきたりイノシシ肉を送ってくれることはあったが、こちらが行くことはなかった。父親ももう1人の友達も、自分が成人する頃には道を忘れてしまっていた。
父親が夭折すると縁も切れたので、友達のことも土地のことも分からない。
まさか令和になっても「イノシシ狩り」をしてることはないだろう。
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