薄汚れた変なおじさんの正体は
投稿者:せいぎ (10)
私が小学生の低学年だった頃の話です。
私が毎日通う通学路の途中に、長髪で50代ぐらいの、薄汚れた茶色いジャケットを着た変なおじさんがいました。
おじさんは何をするでもなく、通りの向こうからじっとこちらを見ているだけで、週に数回は、私はそのおじさんに見られながら通学していたのです。
子供ながらに、「あの人はいわゆるホームレスか何かなのだろう」と理解していました。
そのおじさんからは敵意や、危険な香りというものは感じませんでしたが、やはりどことなく怖いと思う気持ちもあり、学校の友人や、両親にもおじさんのことは話さないまま、時が過ぎていきました。
おじさんを見かけるようになってから数ヶ月後、私は通学路以外でもおじさんを見かけるようになりました。
電車に乗って家族で旅行に行った先でも、車で遥か200kmほど遠くに離れた避暑地でも、必ずあのおじさんが、通りを挟んだ向こう側から、全く同じ風貌のまま、私をじっと見ていたのです。
流石に怖くなって傍らの両親に訴えかけても、両親には私の指差す先におじさんは見えなかったようでした。
学校の友人たちに聞いても、通学途中にそんなおじさんを見かけたことは一度もないということでした。
私がおじさんを見かける頻度からしても、普通なら誰かが見たことがなければ明らかに不自然でした。
私は一時期それで参ってしまい、心配した両親が私を病院に連れて行ったりもしましたが、何も異常は見つかりませんでした。
それから先も私はおじさんに見守られながら通学する日々を過ごしていましたが、高学年になり、中学に入る頃には、私にもおじさんは見えなくなっていました。
結局、あのおじさんが何者だったのか。私にはつい最近まで、その見当すらつきませんでした。
子供特有の、空想を現実とごっちゃにしてしまう現象か何かだったのだろうと、勝手にそう解釈していました。
ですが、以前、私が仕事で大きな失敗をして会社を辞め、一時的であれ路頭に迷った際に、私にはふと、あのおじさんの正体にとある心当たりが出来てしまったのです。
あてもなく街をうろつく私は、楽し気に通学路を行く子供たちを眺めながら、在りし日の自分を重ね合わせていました。
それは現状を憂い、子供時代を遠く懐かしみ、哀しむような感覚でした。私が町の子供たちを通して見ていたのは、他ならぬ子供の頃の私自身でした。
自分にしか見えなかったおじさん。ずっと私のことだけを見ていたおじさん。
ひょっとして、あのおじさんは未来の自分自身だったのではないか。
ともすれば、未来の自分は何を感じ、通りの向こうから在りし日の自分を眺めることになるのか。
単なる飛躍した妄想かもしれないとは思いつつも、私にはどうしても、遠い記憶の彼方から私を見つめるおじさんの目に、そして私自身のこれから先の人生に、うら寒い曇り空の気色を感じずにはいられないのです。
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