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それからの記憶がない。一緒に雑煮を食べたのか、怖気づいて逃げ出したのか。
気がつくとわたしは、聖宝寺ルート登山口である堰堤に突っ立っていた。すっかり陽は落ちていて、晩秋の身を切るような冷風が吹きすさんでいる。腕時計で確認すると、時刻は21時すぎであった。驚くべきことに翌日の21時すぎだった(土曜日の山行だったため、無断欠勤をやらかさずにすんだのだけが不幸中の幸いである)。
気持ちの整理がつけられず、わたしはいつまでも茫然とその場に立ち尽くしていた。
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経験を積み、まがりなりにも読図ができるようになってから、わたしは折りに触れて藤原岳付近の地形図を眺めるようになった。
あれだけ広大なスペースがあるのなら、地形図上に平坦な長い楕円として描かれているはずである。藤原岳直下には無人の山小屋があり、カレンフェルトの岩塊が点在する高原のような場所が確かにある。
けれども民家や田んぼはないし(そもそも水の得られない山頂付近で稲作などできるはずがない)、それらがあった形跡もない。諦めきれずにこの地方の郷土史を読み漁ったけれども、藤原岳に人が住んでいたという記録も残っていなかった。
藤原岳8合目から2時間圏内で行ける似たような場所となると、御池岳(1,247メートル)の東に広がるテーブルランドくらいしか考えられない。かの地は確かに見渡す限りの高原だし、秋になれば枯草がいっせいに色づいて稲に見えなくもない。問題はやはり民家である。広大なテーブルランドを隅から隅まで捜索し尽くしたが、結局家屋の基礎すら見つからずじまいであった(本筋とは逸れるが、紅葉の時期のテーブルランドは死ぬまでに一度は訪れておきたい屈指の景勝地である)。
一連のできごとは遭難の恐怖が見せた白昼夢だったのだろうか? 道迷いによって発症したパニックからいもしない女性と、ありもしない日本の原風景を幻視したのだろうか? これが妥当な解釈なのはわかっている。だがそれにしては記憶が鮮明すぎる。実際に起こったとしか思えないほどに。
今回お話しした不可思議な体験から十余年が経ち、その間に日本アルプスをはじめとする3,000メートル級のフィールドに何度も遠征した。あのころからすればスキルもそれなりについたと自負している。いまや鈴鹿山脈のノーマルルートはいささか物足りなくなってしまった。
それでもヤマヒルの出なくなった秋になると、わたしの足は自然とかの地へ向かう。
もう一度あの村へ行ってみたい。そこにはきっと美奈子さんもいるだろう。なにせ彼女の故郷なのだから。
美奈子さんと再会し、山の幸が盛られた雑煮を一緒に食べる――。
そんなことを夢見ながら、今日もわたしは鈴鹿を歩くのだ。


























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