さらに近づくと、パトカーが一台止まっているのが見え、ガラス張りの店内に人が集まっているのも見えました。
不思議に思いながら歩いていくと、中からテレビの音が漏れ聞こえてきました。
「ごじごじゅうごふん。ごじごじゅうごふん」
時刻を告げる耳慣れた声でした。
……え?
そう思った次の瞬間、集まった人たちの中に、東京にいるはずの両親の姿が見えました。
なに?
なんで?
困惑したまま食堂へ入ると、ハンカチで口元を押さえていた母と、ばちりと目が合いました。
その瞬間、母は泣きながら駆け寄ってきて私に抱きつき、父もその後ろから走ってきて私を抱きしめました。
何が起きているのかわからず呆然としていると、友人や食堂の社長、おかみさん、警察の人たちがどっと集まってきて、
「どこにいたの」
「大丈夫ですか」
「よかったよ」
と、口々に言ったのです。
まったく状況がわからないまま椅子に座らされると、慌ただしく頭や手足にケガがないかを調べられました。
そして名前と年齢、住所を確認された後、
「山頂で誰かに会いましたか」
「あの場所から歩いて降りた記憶はありますか」
「何か口にしたものはありますか」
などと、次々に質問を受けました。
目の前で話す警察官の、銀の前歯をぼんやり眺めながら、私は何か知らぬまに自分がとんでもないことをしてしまったような恐ろしさと、話が通じないことへの苛立ち、そして責められているような、あるいは自分だけが取り残されているような感覚が入り混じっていました。
警察の人の話では、私は友人たちと山頂で別れた午後六時頃からのおよそ十二時間、行方不明になっていたそうです。
あまりに戻りが遅いため、友人たちが午後七時過ぎに山頂へ様子を見に行ったところ、そこに私はおらず、すぐに社長やおかみさん、残っていた従業員たちも加わって周辺を探したものの見つからなかったため、午後九時近くになって警察へ通報したそうです。
本来ならあと三日ほど働く予定だったのですが、東京へ帰ることになりました。それは両親に一緒に帰るよう強く求められたことと、まったく身に覚えがないとはいえ、食堂の皆さんに迷惑をかけてしまったという思いがあったからでした。
けれど正直なところ、周囲の人たちがそれまでとは違う目で私を見ているような、その視線がどうにも落ち着かなかったのが、一番の理由でした。
時間が経つにつれ、その出来事は私を含め、周囲の中でも少しずつ薄れてはいきましたが、「長野県」という言葉すらどこか避けるようになり、あの観光地を再び訪れることはありませんでした。
しかし、それから十二年後のことです。























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